このブログを読んでいらっしゃる方は、
摂理のバイブルスタディを学んでいる、
もしくは伝えていらっしゃる方も多くいるかもしれません。
いずれにせよ、バイブルスタディに接する中で、
一つだけ、絶対に忘れてはいけないことがあります。
それは、文字面だけを伝えてもor聞いても何も響かないということ。
<御言葉>は「言葉」ではない。
神様だ。聖霊様だ。御子主だ。神様の歴史だ。命だ。命に導く道だ。
御言葉は、神様の「考え」であり「思い」であり「心情」。
その背景には、神様が人間を創造されてから今に至るまでの「(神様の)歴史」があります(参考:漫画deバイブルスタディ・旧約聖書と新約聖書)。
だから本当に伝えなくてはいけないのは、
また受けなくてはいけないのは、
「言葉」ではなくて、この神様の「心情」。
そうでなければ、知識的な話に終わってしまいます。
<御言葉>が「言葉」で終わるから、力が抜けてへたり込むのだ。
中身のないパンを食べるようなものでしょうか。
これでは人に、力を与えることもできません。
自分が伝えるときもこの「心情」を、
また自分が聞くときもこの「心情」を受けられるように聞かなければ、御言葉の本質をつかむことができないのです。
次に接する機会があれば、
ぜひ意識してみてください。
2016年6月7日 摂理の御言葉