ローマの次に殉教者が多い国・日本-過去から摂理へ

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「殉教」という言葉をご存じでしょうか?

命をかけて信仰を守ることです。

「棄教」(ききょう:信仰の放棄)を迫られ、拷問など死の苦難に堪え忍びながらも、キリスト教迫害の歴史を築いてきたのは、この殉教者たちでした。

キリスト教迫害が世界史上、最も多かったのがローマ。
313年のミラノにキリスト教が国教化として爆発的に栄えましたが、その裏では迫害も起こり、今も尚、殉教者の遺跡が数多く残っています。

そしてこの殉教の歴史、実は日本も無関係ではありません。
日本の殉教者は約20万人いたとされ、ローマに次ぐ殉教の歴史を誇る国とされています。

さかのぼること1549年。
かの有名な、ザビエルが日本の地に足を踏み入れ、日本にキリスト教が芽生えました。
ザビエルは日本の風土や習慣、言語にあわせ、布教活動を行ない、庶民やエリート層に爆発的に広まりました。
1552年には500人程度だったキリシタン人口は、20年後には3万人以上だったと推定されています。

ザビエルの死後もイエズス会、フランシスコ会などの宣教師たちにより、日本人キリシタンや教会の数は増えてゆき、1563年には最初のキリシタン大名も現れ、「国教」に近い存在となってゆきました。

徳川幕府が「禁教令」を出した1614年には、キリシタン人口は推定40万人(!)とされています。

長崎だけでも2万5000人を越え、教会数も40以上あったと当時の書簡に記録されています。

しかしその後、幕府のキリスト教弾圧により、一気にキリシタン人口は減少の道を辿ります。
地獄責め、逆さ吊りなど、言葉に言い表せないほどの苦痛を受けながらキリシタンは信仰を守ります。
長崎県の26聖人の墓(写真)は、豊臣秀吉の時代、迫害にあい、耳たぶを切られ、京都から長崎まで見せしめの為、殉教により命を捧げた人たちです。

「義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである」
(新約聖書:マタイによる福音書5章10節)

日本には、命をかけて信仰を守り抜いてきた歴史があり、その先祖の土台の上に、現在の信仰が成り立っています。
今やキリスト教はほとんど影響力を失ってしまいましたが、信仰という形ですらないにしろ、20万人もの殉教者を出したこの地は、キリスト教精神を受け継いでいると考えることが、自然なことではないかとSolは考えます。

日本はよく

「キリスト教文化が他国に比べて薄い」
「絶対信仰が根付かない」

などと言われますが、果たして本当でしょうか?

世界的にも「特異」と言われる日本民族の役割、神様が与えて下さった御心について、このブログでも考えてゆきたいと思います。

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キリスト教福音宣教会(通称:摂理)のブロガー。普段は総合職で海外とつながるお仕事。女性の社会進出に興味有。漫画を描いたり写真を撮ったり泳いだり、多趣味極まりない感じで、色んなものが飛び出します。