「祈り」と「瞑想」の違い

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最近、瞑想ブームですよね。

若い女性とか、スポーツ選手とか、経営者とか、色んな人の関心が向いているのを感じます。
それだけ心を落ち着ける時間がないってことでしょうか・・。

摂理も瞑想したりするの?と思われるかもしれません。

が、基本、摂理ではいわゆる「瞑想」ではなく、声に出して神様に告げる「お祈り」をします。

黙想ではなく集中だ。そして口で告白して私に進み出なさい。
黙想祈りをするな。黙想祈りをしたら眠くなる。寺ではない。はっきり詳しく主に告白する祈りをしなさい。
主は祈るときそばで聞いていらっしゃる。主の考え通りに祈ってこそ通じる。
(2010年7月19日 摂理の御言葉)

このように、「言葉」で神様と疎通する重要性が、御言葉で伝えられます。

恋人同士もきちんと思いを言語化してこそ理解しあえるように、神様と人間もそのようだということでしょう。
自分自身も、思いを声に出すことによって新しいことに気づいたり、思いがけない感動を受けたりするものです。

これが、瞑想とは違う「味」なのかもしれません。

声に出すお祈り、良いですよ♪

ABOUTこの記事をかいた人

キリスト教福音宣教会(通称:摂理)のブロガー。普段は総合職で海外とつながるお仕事。女性の社会進出に興味有。漫画を描いたり写真を撮ったり泳いだり、多趣味極まりない感じで、色んなものが飛び出します。