摂理の信仰生活は、やることが多いです。
教会に行ったり、生活の中でお祈りをしたり、
組織の運営など、様々なことがあります。
御言葉も、たくさん伝えられるので、
とっても恵みである一方、
あれもやらなきゃこれもやらなきゃ!
あれもやるこれもやる!
と、人によっては「いつも走り回ってる人」になってしまったり。
実践が多いのは素晴らしいことですが、
ただこの時に注意しないといけないのは、
ただ熱心にやればいいという訳ではないということ。
信仰もとにかく頑張ればいいというものではない。
「流れ」「脈」をつかむことだ。
御言葉では、このように伝えられます。
最近は状況が変わってきましたが、
まだまだ「とにかく頑張る」ことが
仕事や学業において評価される日本。
この感覚でいると、信仰生活も「御心」という目的が素通りして、空回りしてしまいます。
例えば試験で、ある問題を解くためには、
必要なことだけをやったらいいのであって、
すでに解ける問題を繰り返し解いていたり、
必要のないことを勉強していたら、
時間と労力の無駄というものです。
「流れ」と「脈」に合うように、
発展的に実践をしていかなければ。
何をするにしても「考え」だ。
自分の「考え」のベクトルをどこに向けるか。
またどこに向けるべきか。
これがぼんやりしていると、行いもぼんやりするしかなくなるから、この「考え」の次元を上げる必要性を、御言葉では伝えられます。
まずは明け方に起きてお祈りをすること。
1日のうち、最も精神がはっきりしている時に、神様の「考え」をつかむこと。
同じ信仰生活をするならば、
スマートな信仰生活をおくりたいものです。
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2018.6.15 摂理の御言葉