引っ張られる信仰生活は限界がある

このブログで何度も伝えていますが、摂理は実践信仰です。
大切なのは、人に言われて何かを行うのではなく、自ら行うこと。

世の中の会社もそうですよね。
始めは何も分からないから、
一つ一つ教えてもらったりするけれど、
ある程度学んだら、
自分で考えて実践することが重要になってきます。

「言われるからやる」
「言われてはじめてやる」

だと、それ以上の発展がありません。
言われなければ、
何もやらないということですし、
必要性が本人の中で見えていなければ、
実践しても力がありませんし、続きません。

自分で考えてどんどん動いてこそ、
その創造性の中にある
その人にしかない個性が磨かれていきますし
何より「自ら行う愛」を
神様は願っていらっしゃいます。

今は、引っ張られるのではなく、自らが引っ張る時代だ。
他人の力でなく、自分の力で(信仰生活を)生きなければならない。

「信じてついていく」という言葉も、
文字通りただ従うのではなく、

①心で信じる ②行う

という2つを含んでいるのだと、
先日、御言葉で伝えられました。

そのようにしてこそ
奇跡とも呼べる「しるし」を見るようになるし、
しるしを見るから、もっと信じたくなる、行いたくなる、そしてまたしるしを見る。

「自分の器に限界はない」
という御言葉通り、
ひたすら自らが主人公となって、
自分を「完成」させていく摂理です。

 

2019.2.24 主日の御言葉 & 2019.2.25 明け方の御言葉

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ABOUTこの記事をかいた人

キリスト教福音宣教会のブロガー。社会人で教会に通うようになり、日常を記録したい思いからブログをはじめました。絵と写真が好き。趣味は水泳&インテリア。名古屋・主の栄光教会所属。