聖書以外の本を読むと良い理由

世界のベストセラー不動の地位を誇る聖書。

無人島に何か一つだけ持っていけるとしたら?
との問いに、欧米の人は「聖書」と答えると聞いたことがあります。

日本だと「仏典」になるのでしょうか…
誰も持っていかなさそうだけど。

そんな世界のベストセラー聖書ですが、
最近、親友のLunaがこのように書いていたのを読んで、とても同意しました。

最近、新たに聖書を勉強し始める方達とお話ししながら感じているのは、普段から、あまり本を読んでいなかったり、あまり考えていなかったりする人には、聖書は次元が高すぎて、その偉大さも感じることができないということ。ーブログ記事「自分へのご褒美に買った本達」より

聖書は、6000年もの昔のことが書かれている歴史書であり、特に新約聖書はイエス様の弟子たちが記していることもあって、記述が難解なことが多々あります。
「封印の書」とも言われるぐらいなので、普通に読解して読めるわけがない。

私は高校生の頃に読んで挫折しました。
手塚治虫の漫画でも、何がおもしろポイントなのか分からず、結構キツかった…。

この難解な聖書を分かりやすく教えて下さるのがチョンミョンソク先生であり、バイブルスタディなのですが、一通り学んだ身として言えるのは、この「分かりやすく教えてくれる先生」に加えて、自分の知識経験の深みが、進度を左右するということ。

私は、暗記ができない人だったので、
いわゆるテストでは良い点が取れた試しがないのですが、
自分が学校に行っていなかったこともあって、
世の中のことを考えたり、
特に高校時代、よく本を読んでいました。

知識を得ることの楽しさには限界があり、
本の内容が「生き方」とリンクした時に、
読む本も、一般の学術的な本?では物足りなくなってきて、思想・哲学に傾いていきました。

だから、バイブルスタディが普通の話でないことは、聞いた瞬間ピンときましたし、絶対、大学では教えてもらえない内容だということも確信しました。

世の中の学問も現場も壁にぶつかっていたので、
進度は速かったと思います。

なので社会人になって
聖書がスッと入ったのだと思いますが、
中学生、高校生の時に出会っても、
よく分からなかったと思います。
性格上、納得しないと前に進めないので、
導かれても途中でやめてたと思います…。

もちろん、聖書に出会うタイミングは人それぞれなので、
まっさらな状態で聖書に出会い吸収していく人もいるでしょう。
でもやはり「御言葉に強い人」というのは、
世の中の知識・経験も豊富な人が多い傾向にあると思います。
実際、チョンミョンソク先生も、とても博識でいらっしゃいます。

あの場所に住んだから、この場所の良さがわかる、
このことがあったから、あのことの良さがわかる、

そのように、
私も色々と本を読んだから、
聖書の価値が分かりました。

だから、聖書以外の本も、
時に読んでみるとよいと思います。
「聖書意外読んではいけない」という教えはないので…(あったらカルト!)

ただ最近、書店に並んでいるものは、目を引くために表現が過激だったり刺激的だったりする傾向にあるので、何だかなーと思いますが(^^;

読むなら岩波とかで脳の練達を、
と言いたいところですが、
今の人、生活の中では読まなさそう…。

「(バイブルスタディに)もっと早く出会ってればよかったなー」と思うことはありますが、私の場合、過ぎた日の経験が土台になっているから、そのことを考えるのはナンセンス。

むしろ同じような立場の人がいるなら、それを糧にして楽しく学んでほしいですし、若くして学んでいるのであれば、世の中の書物とも触れ合いながら、一層聖書の価値を実感してほしいなと、思います。

追記☆

12月23日の説教の中で、学問を学ぶ重要性について言及され、学問は神様を学ぶチョンチョウ(準備)だともおっしゃられました。このひとことが、この記事すべてを濃縮する結果となりましたw

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ABOUTこの記事をかいた人

キリスト教福音宣教会のブロガー。社会人で教会に通うようになり、日常を記録したい思いからブログをはじめました。絵と写真が好き。趣味は水泳&インテリア。名古屋・主の栄光教会所属。