「恋愛」や「お酒」のないストイックな信仰生活のススメ

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私が摂理に惹かれたひとつの大きな理由に、ストイックな信仰生活というのがあります。

大学時代、摂理に来る前ですが、まわりが「恋愛」や「お酒」でわいわいしているのを見て、結構冷めていた私。
ある人は「お酒とタバコと競馬の成分でできてる」とか言われてましたっけ。。

自分も頑張って(?)恋愛とかお酒とか手を出してみるんですけど、いまいち楽しめない・・むしろ、時間もったいないよ、みたいな。
そのスタンスは、社会人になっても変わらなかったです。

大学時代は、NPOやらベンチャーやらで長期インターンシップもしたりして、結構色々な大人に会ったりしていました。
が、企業理念は素晴らしかったり、仕事への姿勢はすごく尊敬できる人が多かったんですけど、お酒好きな人や、下ネタ好きな経営者の人も結構いたりして、もともと飲めない私はそこでつまづき幻滅したのをよく覚えています(そうじゃない人もいましたけど・・)。

有名企業やベンチャーに行く友人も、結構いました。
でも、睡眠時間は削るのに飲みまくったり、下ネタで盛り上がってたり・・。
「やってることは大きいことなのかもしれないけれど、一体なんでこのような品性のない人たちが、高いお給料をもらっているのだろう?」と、色々と疑問でした。

部分部分で共感はできても、
純粋に「ついていきたい」という人がいませんでした。

だから摂理に来て、自分が「これいらなくない?」みたいなものが、神様の視点から見たときに「やっぱりいらない」と知れたときは、本当に嬉しかったです。
聖句や御言葉をひとつひとつ学んで「無駄」なものが生活や思考から削がれていくことに安心しました。
何より実践者である鄭明析(チョンミョンソク)先生の生き方に感銘を受けました。

各自「すべきこと」をすれば、「別世界の生」だ。

御言葉を通して、人生において根本的に「すべきこと」が明確に分かったことが、今の私を摂理に存在させています。
本当に、出会った瞬間から「別世界」でした。

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世の中で生きていると、倫理的に違和感があることが本当にたくさんあると思います。
私にとっては「お酒」と「恋愛」が、切りたくても切ってもいいのかすらよく分からない、生活にまとわりつく2大「垢」のようなものでした。

最近は、若い人のお酒ばなれ、恋愛ばなれが進んでいると聞きますが、単純に「興味がない」という理由だけではないはず。
そこに根本的な「希望」がないことを示していると思います。

だから同じような違和感を感じている人がいたら、
摂理の門を叩いてみてください。

 

2016年11月2日 摂理・箴言の御言葉

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キリスト教福音宣教会のブロガー。社会人で教会に通うようになり、日常を記録したい思いからブログをはじめました。絵と写真が好き。趣味は水泳&インテリア。名古屋・主の栄光教会所属。