摂理の御言葉を聞いていると、
あるときは
「大胆にやりなさい」
とか言うし
あるときは
「細かく確認しながら行ないなさい」
と言うときがあります。
どっちやねん!!
と、矛盾を感じる方もいるかもしれないのですが、どっちも正しいのです。真理だから。
違うのは、各自の状況です。
だから、これに合わせて御言葉を適用させなければならないということ。
ただ神様と聖霊様と御子が願われるとおりに、時に従ってふさわしく、大きくあるいは小さく合わせて行なうことだ。
この「神様と聖霊様と御子が願われるとおりに」というのがポイントで、これを見極めるために絶対的に必要なものが、お祈りという三位との「対話」。
このお祈りによって、ふさわしい霊感や感動を受けたりし、とるべき舵の方向性をつかめます。
お祈り以外でも、自分が意識さえするならば、人だったり、万物だったり、環境だったり、あらゆるものを通して、神様が今の自分に該当する御言葉が何なのかを、「時に従ってふさわしく」はっきりと悟らせて下さいます。
でもそうした神様の働きかけを無視し、自分中心に判断するならば、結果判断「ミス」が生じます。
これは、私自身も研究途上。
でも明らかに、お祈りをした後に下した判断と、お祈りせずに下した判断では、前者のほうが「成功」します。
自分の心に正直に生きるのならば、
自分にとっての「答え」になる御言葉が何かというのは、聞いた瞬間の「感動」度合いが違うので、自分自身が一番よく分かるのだと思います。
お祈りをして神霊になった状態で御言葉を聞くと、自分にとって「あ、これが今神様が私におっしゃっているメッセージだ」というのが分かるんですよ^^
このトピックについては、また改めて書きます( ・ω・)ノ