「最後まで」

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最後まで行うということは
不可能でも、上手くいかなくても、どんな状況だとしても
そのとき行なって、結局行うことが
まさに最後まで行うことだ。

摂理では「最後まで」という言葉が説教などでよく出てきます。

マラソンにゴールがあるように、
今自分がとりくんでいることも
必ず終着点があるというもの。

テープを切ったら
また新しいリレーに備えるのです。

それも「自分」の水準で走りきるのではなく
三位の神様が満足される次元で。

最後まで行うこととは、 あなたの水準と、あなたの次元で最後まで行うことではなく 聖三位が願う水準と次元まで 行うことを言う。

2016年ももう終盤。

実はこのイラストはかなり前に描いて放置していたものなのですが、ふと目にとびこんできて、今の自分へのメッセージだと思いました・・。

このブログも今年最後まで、やりきります!

 

2015-01-01 「最後まで行うこと ‐聖三位が満足なさる地点まで行うこと」より

ABOUTこの記事をかいた人

キリスト教福音宣教会(通称:摂理)のブロガー。普段は総合職で海外とつながるお仕事。女性の社会進出に興味有。漫画を描いたり写真を撮ったり泳いだり、多趣味極まりない感じで、色んなものが飛び出します。