表面的な「笑い」は心を満たさない

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「コメディーで笑わせる笑い」も中毒になったら、そのようなものを見て笑わないと生きられない。脳がそのように慣らされるからだ。しかし終わったらすべて虚しい。

人々は「何でもないこと」で笑って、楽しみ、満足する。

わはは!とそのときはとても楽しいのに、終わってみたら「なんだったんだろう?」と思うことが、摂理に来る前はありました。

そしてどんどん「刺激」や「新しいもの」を求めることで、その隙間を埋めようとしてしまうんです。

でも、残るのは虚しさや表面的なよろこびだけ。

そのときは楽しいけれど、それが生きる上での根本的な「答え」にはならないことを、摂理の御言葉で、学びました。

2016年2月12日金曜日の明け方の箴言より

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キリスト教福音宣教会(通称:摂理)のブロガー。普段は総合職で海外とつながるお仕事。女性の社会進出に興味有。漫画を描いたり写真を撮ったり泳いだり、多趣味極まりない感じで、色んなものが飛び出します。