摂理で「考え」に迷いがなくなった

摂理は「考え」の自己管理を徹底的に行う場所です。

中心は、神様のために生きることなので、
その軸に従って自分の「考え」をつくり、
実践で「行い」の実を結びます。

神様からみて何が義であり善なのか、
それを教えてくれるのが御言葉なので、
私はこの御言葉に出会ったことで、
自分の不要な「考え」がそぎ落とされて、
まっすぐ、迷いなく生きられるようになりました。

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特に摂理に来る前の学生時代は、
今思うと「いらないこと」ばかり考えていました。

世の中の問題に関しても、
何が正しくて正しくないか分からなかったし、
白黒つけるべき論点も「多様性」という言葉で
「なんでもあり」な風潮に違和感を感じましたし、
それでも「答え」を求めて、考えて考えて、
結局わからず無限ループ。

「考えすぎ」と友人や大人たちに何度も言われ、
落ち込んだことも多々ありました。

飲み会や女子会なるものも、
もともとそういうのが好きではなかったので、
結構避けてはいたほうですが、
バリバリやる人に限ってそういう場所を推奨するので、
今度は逆に、ついていけない自分が
ダメなんじゃないかと考えたり…。

考えなくてもいいことで
頭を悩ませることが多かったです。

でも摂理にきて感動したのは、
そのような自分の「考え」のしこりのようなものが、スッキリとれたこと。

人間と宇宙を創造された
神様の視点で人間と世の中をみて

これはいいよ
あれはダメだよ

とスッキリハッキリ御言葉で解いてくれることで、
自分の考えに迷いがなくなりました。
考えに迷いがなくなったことで、
行いにも迷いがなくなりました。

もちろん、ただいいとかダメとか言うだけではなく、
しっかりした背景や根拠もある。
盲目的に信じることはできない人間なので、
理にかなった説明はとても心地よかったです。

人間は<考え>と<力>だ。
<考え>はしきりに考えてこそたくさん考えるようになり、有能になる。

私、今学生時代の倍以上の生産性で活動してると思います。

学生時代、そこそこやってると思ってたけど、
今の自分からしたら、全然やれていない。
「考え」に迷いが多すぎました。
一体、何をやっていたんだ…。

<考え>を神様の「考え」に合わせたら、
歳と関係なく「いい考え」をするようになり、
「最先端の考え」をする と御言葉では伝えられます。

まさに「考え」に迷いがなくなり
スッキリと生きられるようになったことが、
摂理にきて最も感謝すべきことの一つです。

 

2018.5.22 摂理の御言葉

ABOUTこの記事をかいた人

貿易の仕事をしながら摂理の教会に通っています。スイマー・おしゃれ信仰生活推進委員。今ハマってるものはインテリア。インターネットが好きです。