はじめの愛が冷めた聖書の人物たち

今週は「はじめの感謝と喜び、愛を忘れずに行おう」という主題で主日の御言葉が伝えられました。

恋愛でも「マンネリ化」「冷めた」「つきあう価値がわからない」という言葉があるように、そう、残念ながら信仰の世界でもそれはあるのです…。

しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。

ヨハネの黙示録2章4節

聖書にも、きっちり書いてありますね。
そういうことが昔から起こっているということです。

恋愛も、最初は盛り上がって熱心に愛するけれど、
時間が経つと冷えてしまう…

聖書の人物を見てみると、
信仰面でもそのようだということが、
よりリアルに感じられます。

まさに「残念」とも言える人物ですが、
このようになってはいけない教訓として、
先生が教えて下さったのでご紹介しますね。


Bible Wikiより

サウル王
王様がいなかったイスラエルの旧約時代、神様の声を聞けた預言者のサムエルが王に任命した人物です。
初めは謙遜かつ人格的な人物でしたが、自ら王となり戦いに勝利するうちに高慢になっていきました。
典型的な「残念な俺様系男子」ですね。
現代にも、こういう人いますよね。

<サウル王>も「預言者サムエル」に初めて会ったときは謙遜で、人格的に接した。しかし王になってからは心も行ないも変わって、「預言者サムエルの価値」をなくして接するようになった。そうして神様の人サムエルに叱られ、神様にも捨てられるようになった。


残念な姿は教訓として本にもなってしまいました。

ロトの妻
次は女性です。
この方は、旧約聖書に出てくるロトという人物の奥さんです。
いつの時代でも殺人や罪がはびこる「腐敗した街」というのがありますが、ロトと娘2人とそのような街に住んでいました。
ある日、その街を見るに見かねた神様が裁きを下そうとします。
しかしロトは神様の目にかなう義人だったため、裁きを逃れるため特別にその家族と街を脱出することを神様に許諾されます。
しかし裁きが始まると、家族は逃げ出しますが、神様は天使を通して「後ろを振り向いてはいけない」と教えたにも関わらず、ロトの妻は好奇心で振り返ってしまい、塩の柱になってしまいます。


塩の柱になってしまいました。

<ロトの妻>も最初はよくついて行ったが、「天使の言葉の価値」を忘れて後ろを振り向いたことで裁かれた。

「神様の言葉に耳を傾けないと裁かれる」ことが本質的な教訓ですね。

無駄に大げさですが、無駄にわかりやすい映像見つけたので、貼り付けておきます。

十人の乙女
新約聖書に「十人の乙女」という人たちの比喩が出てきます。
これは、マタイによる福音書25章1-13節に出てくる「花婿」であるキリストの来臨を待ち望んでいた人たちですが、5人はあかりの油を用意していた一方、5人は用意しておらず、いざその日が来た時に迎えられなかったという話です。
今でいうところの「婚活失敗」
むしろ花婿が来るのが遅れたため、居眠りまでしてしまいました。

<十人の乙女の中の五人>は、最初は新郎を熱烈に待っていたが、あとでは「価値」を忘れ、居眠りをし、寝て、新郎を迎えられなかった。


婚活は準備が命…
image by WALK IN THE LIGHT

ダビデ王
こちらは成功例です。
先に紹介したサウル王に勝利し英雄となった人物です。
いつも神様を慕い感謝し、その人格と器の大きさから人々に信頼され、イスラエルの繁栄を築いていきました。
やはり成功する人は、感謝する人なのです。

神様は<初めもあとも感謝感激して喜ぶダビデ>を王として立て、イスラエルの国と民族を任せて、40年間治めて喜んで生きるようになさった。


地球上のデイビッド(David)さんは、彼がモデルです。

イスカリオテのユダ
イエス様の弟子の一人で、イエス様を裏切り十字架にかけるきっかけとなった有名な人物です。
最初は12使徒としてイエス様に従順していましたが、次第に不信するようになりサタン(悪魔)がのりうつり、最後は自ら命を絶ちました。

イエス様の時も<初めの愛を奪われたイスカリオテのユダ>は「主」を奪われるようになった。<他の弟子たち>は初めの愛を最後まで続けて、霊界に行ってもイエス様の弟子として主と共に生きている。


Image by The Telegraph

いかがでしたでしょうか?

聖書を見て見ると、神様の御心に従い「成功」した人物もいれば、「失敗」した人物も様々に出て来ます。
それは、今の時代の私たちにも、教訓として教えてくれるもの。
「初めの愛と価値を忘れてはいけない」というのは、時代をこえた真理です。

聖書を読むと、<初めの信仰と初めの愛と初めの価値を忘れた人たち>は「神様と聖霊様と御子主」を奪われ、「さまざまな祝福」を奪われた。
しかし<神様と主と約束したことを初めからあとまで守って、ますますもっと愛して価値を分かって生きた人たち>は「祝福」も「愛」ももっと受けて、もっと「価値」を分かって喜んで感謝して生きた。
イスラエルの民族も、旧約のユダヤの宗教人たちも、新約のクリスチャンたちも、各個人もそうだった。

<この時代の主に会った人たち>もそうだ。

今の時代も、同じ過ちを犯すことなく、
初めの愛を忘れずに生きていきたいですね。

 

2020.1.26 摂理の御言葉

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キリスト教福音宣教会のブロガー。社会人で教会に通うようになり、日常を記録したい思いからブログをはじめました。絵と写真が好き。趣味は水泳&インテリア。名古屋・主の栄光教会所属。