先日、長野県で起こったスキーバスツアーの事故。
もう1か月以上も前のことなのに、安全管理のずさんさが次々と明らかになり、新聞では連日関連記事が取り上げられています。
多くの犠牲者が出た大惨事でしたが、貿易事務をしながら、他人ごと(他業者)とは思えないと感じました。
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今回のバスの事故の原因として追及されているのは、バス会社のあり方。
国の基準を下回る安値での運行、走行計画を示す運行指示書の未作成、ドライバーの健康診断も未実施なまま、運行されていたようです。
ご遺族の方から「悪徳な会社の犠牲になった」との声もあがっています。
もちろんバス会社の悪質性さは追及されなければなりません。
けれどもこういう「安さ」を追求しているのは、根本的に消費者であるわたしたちにも原因があるとSolは思っています。
バス会社を選ぶ際、「いかに安全に乗るか」ではなく「いかに安く乗るか」を考える人は多いはず。(わたしもそうでした)
でも一定の質を維持しようと思ったら、越えてはいけない線が必ずあるんです。
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貿易事務の仕事をしていて、お客様からまず言われるのは「とにかく安くしてほしい」。
こちらとしては、自分の会社と、航空会社の利益も出さなくてはいけないから、お客様の満足度も考慮して料金を提示しています。
関わる人すべてに「利益」がいきわたるようにすることが、本来の料金提示のあり方です。
でも、「大手A社のほうが安いからもういいです」と言われたらその線は切れます。
比較すると、明らかにA社のが安い。
でもどうしてもそのお客様の案件を獲得したいとなると、A社に合わせなければならないことになります。
けれども、A社がただの「関係性」(という名の「言いなり」)のためだけに、赤字でその案件を受けていたらどうなるでしょう?
お客様は、A社が赤字だなんてことも知らないから「安くしてもらえてラッキー」ぐらいにしか思わないかもしれませんが、「この料金が基準だ」という誤った認識が生まれます。
結果、大手A社の基準が業界全体に蔓延し、全体の料金が下がることになります。
料金が下がるとどうなるか?
「タダ働き」同然となり、社員のモチベーションは下がります。
会社の収支は下がる一方、仕事ばかりが増え、結果、質を維持できなくなります。
さらに安さを追求するとLCC(格安航空)を使用せざるを得なくなりますから、取り扱いも雑になりますし、遅延やキャンセルは当たり前、大切な貨物がなくなることだってあります。
つまり、お客様にとっても「害」となります。
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最近、廃棄依頼をされた食品が不正に横流しされた問題もありました。
これも食品業者の経営が苦しかったことが大きく背景にあります。
ても「安さ」を追求するとどうなるか。
これがめぐりめぐると、最終的には消費者として自分の命に関わることをこの事件も如実に語っていると思うのです。
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バスの事故の話に戻りましょう。
一体何に価値を置くのか?
お金なのか、人なのか。
これ以上、過度な「安さ」を追及するのかしないのか、人間の根本的なあり方が問われていると思います。
「お金」という目に見える「利益」にあまりに飛びつく風潮に、私は疑問を抱いています。
神様は人間を創造し、限界を定めておいて、その限界を越えて行くことを罪と定めた。
人々は神様が創造し限界を定めたところを越えて行(い)って生きるから、法則にはずれたせいで、罪になって害になる問題が発生し、自ら倒れ、肉も霊も正常に存在できないで生きる。
「きれいごと」と言われようが、わたしは後者でありたいし、また後者であれるような社会をつくってゆきたいと、事件をみながら、また自分の仕事をしながら、思いました。
引用:2011年10月28日 摂理の御言葉