「心情」で支えることひとつが大きい

教会で、私のことをすごく気にかけてくれる姉妹がいます。

彼女はゆっくりマイペース、調和を大事にしていて、
性格やペースは真逆なのですが、感覚や信仰のスタンスが似ているので、一緒にいてラクなメンバーの一人です。

そんな彼女はすごく「波長」に敏感で、
私がメンバーとのやりとりで少し困ったり、
やりにくさを感じていると、見事に見抜きます。

「そういうの疲れてしまわない?」

本当に、言われた私がハッとさせられることもあるぐらい、よく気づくのです。

そして意外と?繊細な私は、
無意識のうちにキャパオーバーのことをしてしまっていたり、気丈に振舞っていたことに気づかされ、一人で辛くなって本音を打ち明け涙する…みたいな…(笑)

「ホラSolちゃん、いつも頑張っちゃうから!話聞くから、言って!」

となだめられ、
あぁこんなことで情けない…と思いつつ、
私の「心情」とも呼ぶべき胸の内を察して理解してくれるって、どれだけ支えになることだろうと、彼女からいつも学んでいます。

もし彼女が気づいてくれなかったら、「なんで私ばっかり症候群」に陥ってしまう可能性大なんだなぁ(^^;

何か大きな使命があるとか、教会で目立つことをするとか、そんなことはどうでもよくて、胸の内を分かってくれることひとつが本当に大きいということを、彼女は教えてくれるのです。

#

よく摂理の御言葉で「天の心情」という言葉が出てきますが、これは神様の心を分かって差し上げなさいということ。
神様は「好き勝手」に生きる人間の行ないに胸を痛めていて、どれだけ神様が働きかけても、神様の存在を忘れて生きる人間の姿を見るのが辛いのだと。
だからその心情を分かって差し上げなさいと。

誰にも言えない「胸の内」を分かって差し上げることが、どれほど大きな慰めと力になるのか。

自分はどれほど、分かって差し上げられているだろう?

神様と聖霊様と御子を知ることだ。三位がなさったことを悟ることだ。しかし知ろうとしてはじめて知るようになる。

神様と自分の悩みなんて比較にもならないですが、「心情で支える」という言葉の意味と必要性を、改めて教えてくれる姉妹に、感謝です。

BGM:天の心情

2017.3.23 摂理・箴言の御言葉

ABOUTこの記事をかいた人

洒落感と抜け感のあるエフォートレスな信仰生活を目指しています多分。スイマー&おしゃれ信仰生活推進委員。仕事は貿易事務。絵を描いたり写真を撮ったり、クリエイティブなことが好きです。