
御言葉を聞いていると
へぇ〜
とか
ふぅ〜ン
とか
頷いてしまうことがよくあります。
これは「『無知』が壊れる音」なのだそう。
無知…知らないこと。知識がないこと。知恵のないこと。また、そのさま。(goo国語辞典)
ですが、ここで言う無知とは、
知識の有無ではなく、
神様が人間に知ってほしいことを知らないこと
とでも言えるでしょうか。
人間がなぜ創られたのかとか、
神様の歴史とか、
生活で何をどう実践するかとか…
御言葉は、神様の世界を知る言葉です。
当然、学校では教えてくれないことだらけだから、
新しい発見や悟りの連続なわけですね。
私も毎日、毎週、自分の無知が壊れております。
主日礼拝は、いつも「へぇ〜」が「満開」です。(ってこのネタ何人分かるのだろうか…)
<メシヤ、イエス様>が生きていらっしゃって、あれだけ福音をのべ伝え、活動したのに、使徒パウロは「無知の盲人」だったので、<イエス様の肉体>には従えず、見ることができませんでした。
イエス様が亡くなられてはじめて「時代の目」を開きました。
これは、2000年前、イエス様が生きていらっしゃった頃の「無知」を表す御言葉です。
使徒でさえ、分からなかったんです。
イエス様がメシア(救い主)だということに。
人は「認識と主観と思考」が間違っていると、脳神経の塊(かたまり)が、完全に間違ったほうが正しいと決定して、見て、判断します。
いくら「正しいもの」を見せてあげ聞かせてあげても、すでに「認識と主観と思考」が曲がっているので、それを正しいと判断しません。
今の時代の「無知」は何なのか
考えさせられますね(・ω・)ノ
2017.8.13 主日の御言葉「歴史の記録:<知らない盲人>と<神様の新しい歴史>」より