信仰や宗教というと、
日本では「強い人」というより、
「弱い人」が持つイメージがあると思います。
人生に絶望し心のよりどころがほしい・・みたいな、
信仰をもつことによる人生のアップグレードというよりは、若干依存的なイメージ・・。
でもSolの教会の牧師さんはおっしゃいました。
「信仰は強い人でないともつことができない」
根拠となるのがこの聖句です。
さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。(へブル人への手紙11章1節)
英語だと、
Now faith is confidence in what we hope for and assurance about what we do not see.
まだ見ていない事実を確認すること。
つまり、科学では解明しきれていない、
見えない世界について、この聖句は述べています。
信仰とは、それを確認する(保障する)ことであると。
見えないものを確信をもって信じるって、正直「普通」じゃできないです。
ましてやそれを人生軸として持ち続けるなんて、自分が信仰を持ってわかったことですが、強くないとできない。
見えない神様の力は、実感できなければその必要性も分からず終わりますし、目に見えるものを信じて従うほうが時に「ラク」なのも事実です。
昔の人たちは、この信仰のゆえに称賛された。
信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。(へブル人への手紙11章2-3節)
物質主義が蔓延し、
人々が目に見えるものばかりにとらわれるようになって、失っているもの。
私はそれが信仰だと思っています。
目に見えることが絶対視される風潮の中で、
目に見えないものを信じるという選択をとるのは、
強くないとできないのです。