『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。
マタイによる福音書5章38-39節
旧約時代は、モーセの律法(有名な「殺すな」「犯すな」などの規律が書かれている十戒)を中心に人間の生活は営まれていましたが、それに取って代わったのがイエス様の「御言葉」です。
旧約時代と新約時代の御言葉の違いについては、新約聖書の随所で述べられています。
有名なのは、この聖句でしょう。
『隣人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
マタイによる福音書5章43-44節
敵は憎むべき対象ではなく、むしろ愛する対象であることが、新約時代に入り伝えられました。
自分を愛する人や、兄弟姉妹を愛することは、誰でもできる。
でも神様は、万人を愛し、罪を犯したら悔い改めの機会を下さいます。
そのように人間もなることを説いています。
天の父は、悪いものの上にも良いものの上にも、太陽をのぼらせ、正しいものにも、正しくないものにも、雨を降らして下さるからである。あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれたことをしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。それだから、あなたがたも天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。(同上 45-48節)
旧約聖書と新約聖書の記述に矛盾があるわけではなく、旧約時代と新約時代は「神様と人間の歴史」だから、親が子を育てるように、漸進的に「次元」を上げてゆくのです。
このことを分かって聖書を読むと、
今につながる新しい発見があるかもしれません。
3回にわたる聖書の基礎編はここで終わり、
次回からは本論に入ってゆきたいと思います( ・ω・)ノ