摂理では、牧会者、指導者など、組織なので一応「職責」というものはあります。
私は、特にないですけどね。
ブログ書いてるだけの平信徒です(笑)
一般的にも、キリスト教の教会には、牧師や伝道師、長老など、色々な職位や職責があります。
名前だけ見ると何だかすごそうですが(実際すごいのだと思いますが)、こんな摂理の御言葉があります。
<職責と職位>は、「看板」だ。<職責と職位よりもっと大きいの>は「主と一体になったこと」だ。
職責と職位は、「看板」。
それだけで、天と一体になった生を歩んでいるかどうか、判断するには不十分なのです。
ある人は「平信徒」だが、「牧師より上の職位」を持っている。なぜそうなのか。
<新婦の時代>には「職責や職位」より「主と一体になっている職位」がもっと大きいからだ。主に使命をもらって行なう人だけが分かる。
<新婦の時代>、すなわち「神様の恋人」になる時代。
「平信徒」でも、大きくみられるのが摂理の世界です。
でもこれは信仰に限った話じゃないですよね。
世の中でも、「看板」があるからといって、それがすべてではありません。
私も「看板信徒」にならないように気を付けねば。
むしろ「看板」で判断されるぐらいなら、ない方がマシなので、ただ実力をつけてゆきたいです。
参考:2016年5月20日 摂理の御言葉