教会は、「恋愛」をしに来る場所じゃない

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教会では「恋愛」ができるのか?

結構、こういう疑問を持つ人は多いようです。てか摂理に来る前、自分も持ってましたし(笑)特に女性だと気になるのかもしれませんね。信仰とか持ったら恋愛できなくなるのかな〜みたいな。でもハッキリ言いましょう。

教会は「恋愛」しに来る場所じゃないです。

「恋愛」=教会の目的ではない。

教会は、ひとことで言うなら神様に会いに行く場所です。生活の中で、授業の合間に、仕事が終わってから…人によって教会に足を運ぶ頻度や信仰スタイルの差はあれど、根本的には自分と神様の一対一の関係を確認し、また深める場所であるのです。あえて「恋愛」という言葉を使うなら、「神様との恋愛」をする場所でしょうか?もちろん、信仰的な意味でです。

単なる「出会い」や「恋愛」がしたいだけなら、合コンや街コンとか行けばいいのです。そっちのがよっぽど、需要と供給を満たす出会いがあります。神様や宗教がどうとかいう話もありませんし。

でもどういうわけか摂理に出会ってしまって「なんかいいな」と思ってるのだとしたら、表面的な「出会い」や「恋愛」を求めているのではない自分に気づく必要があるかと思います。ただの「出会い」を求めてるだけなら、そちらに流れてると思いますし、むしろそれ以上の「愛」を求めているのかもしれません。でもそれっておかしいことではなくて、正常なことなのです。

自分を創造して下さった神様の愛ってどういうものなのだろう?

母親が子どもを産んだら無償の愛を注ぐように、神様にも人間に対する愛があるのです。目に見えないからよく分からないけれど、それは祈りや日々の御言葉の実践によってハッキリ感じられるのです。(感じられるかどうかは、本人の努力次第ですが…。) 教会は、言ってみればそんな「自分と神様の愛」を確認しに行く場所なのです。

神様との愛>人間同士の愛

何だか書いていて、男女の恋愛のために教会に行くという考えが、どうしようもなく次元の低い話のように思えてきました(-_-) そんな目的や考えが脳をよぎったらさっさと捨てましょう。それは教会の創造目的ではないです。しつこいですが、ただの「出会い」を求めるなら合コンのがよっぽど有益です。

とはいえ、男女の人間同士の「愛」がなければ結婚もできませんし、子孫繁栄という神様の御心も達成できなくなってしまうから、そういう意味での「恋愛」を摂理が禁止しているわけではないです。ただ、順番があるということです。神様との愛が先なんです。これを間違えると大変なことになります。「恋愛中毒」なんて言葉があるように、「愛」をおさめるのではなく、「愛」におさめられるようになってしまいます。

恋愛系については、自分自身も社会人から来たこともあり、悟り深いことが本当に多いです。自分の「堕落思考」や摂理に来る前の「恋愛観」なんかも、包み隠さず書いてゆきますよ!(笑)

神様との愛に気付いて、自分に向けられている御心を悟ってより良く「変化」し「成長」してゆく。そんな自分づくりの過程の方が、表面的な「恋愛」に時間をつぶすより、よっぽど楽しいことをSolは教会で教えてもらいました。

ABOUTこの記事をかいた人

キリスト教福音宣教会のブロガー。社会人で教会に通うようになり、日常を記録したい思いからブログをはじめました。絵と写真が好き。趣味は水泳&インテリア。名古屋・主の栄光教会所属。