絶望とひがみに満ちたクリスマスは終わった

タコの巻き寿司を食べました。
スーパーで半額でした。
¥250!安っ!!
こんな巻き寿司初めて見たよ…。

今日は何の日だっけ。
あぁクリスマスイブだ。
風邪をひいて何も作る気がしないとはいえ、クリスマスにスーパーで半額のお寿司を一人で食べるってどうなんだ?
でも教会でお祝いしたし、ケーキも食べたしまぁいいよね(・ω・)ノ

そる
パクっ🍙

と、いざ食べ始めてふと思ったこと…。

私、摂理に来ていなかったら、
超絶「さみしい」クリスマスおくってるわ。

#

摂理に来る前の大学時代、女子ばかりでクリスマスを過ごすのはよかったです。
「まだ若いしいいよね」的なノリがあった。

しかしそんな彼女らも、卒業し、アラサーともなり、facebookを開けば、ここはママさんコミュか!と思うぐらいの結婚&出産&子育てタイムラインのオンパレード!

何も共感するところがないよ(^o^)

と、あえて発信したいこともなく、
そっとFBを閉じるのですが、

閉じた後、これは自分でも驚きなのですが、
羨ましいとか、自分を卑下する感情が生まれないんです。

これは摂理に来て神様を信じるようになってからの私にとって、心底、画期的な「事件」でした。

これで、どれだけの悩み時間が節約できたことか。

「普通」なら、ここでおひとりさまである場合、「羨ましい」とか「焦り」の感情が生まれるものです。

大学時代でも焦っていたのだから、
アラサーなんかになったら、
私は相当焦っていたと思う。

いや、焦っているうちはまだいいです。

焦りが「妬み」や「嫉妬」になり、
どこか「強気」になって開き直るか、
心の片隅に「負け組」の「絶望感」が潜伏しはじめていたことでしょう。

でも、摂理に来て、それが全くと言っていいほど、ないのです。

<神様がこの世と人間を創造なさった目的>は「愛」です。
<メシヤを遣わした目的>も「愛」です。
(…)<救い主の愛>がないから、「憎しみ・妬み・嫉妬」です。

摂理に来て、神様の愛を知ったから、
自分が創造された目的をはっきり知ったから、
まずは自分が神様の愛の対象になることを学んだから、

いわゆる「恋愛」や「結婚」が、
羨ましいと思わなくなりました。

またそれが、自分の人生の根本の解決にならないということも、悟るようになりました。

元々一匹狼タイプなのと、ブログを始め創作活動に打ち込んでいることもあり(?)「寂しさ」という感情も驚くほどありません。

<神様と聖霊様と御子の愛>は「太陽のような愛」です。その愛で「救い主」を地上に遣わしました。愛して「救い主」を地上に遣わした聖三位に愛で感謝の栄光を帰し、<愛と平和と救い主の誕生>を祝うことを願います。

恋人がいたり結婚して幸せな人は、
それでいいと思うんです。

でも、そうじゃない人、それがしたくても何故かできなかったり、うまくいかない人が「おかしい」とか「恥ずかしい」かと言ったら、そうじゃない。
それが何歳だとしても「焦り」や「引け目」を感じる必要も、無理に恋人をつくる必要性も、どこにもない。

もともと、結婚が「予定」されていない人だっているのだから。

女性にとって、恋愛や結婚って本当に大きな悩み事だし、それ故「幸せの型」のようなものを自分で決めつけてしまって、逆にそれに縛られて辛くなっている人も少なくないのでは?と感じることがあります。

この記事を通して、少しでも気持ちが楽になってくれたら嬉しいですし、神様との愛の門になれたら幸いです。

 

良いクリスマスに、なりますように。

 

2017.12.24 主日の御言葉「救い主、愛の誕生」より

ABOUTこの記事をかいた人

洒落感と抜け感のあるエフォートレスな信仰生活を目指しています多分。スイマー&おしゃれ信仰生活推進委員。仕事は貿易事務。絵を描いたり写真を撮ったり、クリエイティブなことが好きです。