愛のために、自分の「自由意思」さえも捨てた先生

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先日、摂理教会の牧師さんが教えてくださった、鄭明析(チョンミョンソク)先生に関するエピソード。

鄭明析先生は、これまで様々なことをされてきたけれど、すべては「神様=恋人が願うこと」をただされてきた方なのだと教えてくださいました。

 

どれだけ忙しくても
肉体が疲労していても
怪我をしていても
精神的に落ち込んでも

神様の願うことであるならば、

御言葉を伝えてくださり
皆と食事を共にしてくださり
サッカーをしてくださりもした。

 

愛する人が願うことをすることが本当の愛。
同じことを見て、同じ目的に向かっていく人生を歩んでいる。
神様が願っていること、目的はそれしかない。

先生がやりたくてやっているではなく、
神様がしてほしいことを行なうという姿勢を
いつも持っていらっしゃる。

だから愛というのは「自分を捨てる」こと。
自分の自由意思さえも捨てること。

たとえ「自分が好きなこと」だとしても、
「恋人」が嫌ならやめる人生を実践されたのが先生。

 

本当に、深いですね。

ここまで自分はまだできないと感じます。
完全な神様が望む生を生きられたら、どれだけ大きな祝福を得られるでしょうか。

以前こちらの記事でも書きましたが、私も「自分の願い」ではなく「神様の願い」をかなえて差し上げる生を生きたいです。

写真のように、おいしく。

ABOUTこの記事をかいた人

キリスト教福音宣教会(通称:摂理)のブロガー。普段は総合職で海外とつながるお仕事。女性の社会進出に興味有。漫画を描いたり写真を撮ったり泳いだり、多趣味極まりない感じで、色んなものが飛び出します。