大学時代、ずっと「師」と呼べる人を探していました。
色々な団体やイベントに関わったり、
何人もの経営者のもとで働いてみたり、
著名人と呼ばれる人たちの講演に足を運んでみたけれど、
100%ついていきたいと思える人がいませんでした。
100%の人なんて、人間不完全なのだからきっといない。
与えられた環境で、出会うべく人と出会って、
おこがましいかもしれないけれど、
60〜70%くらいついていきたい人たちの思想を
うまく取り入れて、カスタマイズしながら、
人生自分で切り開いていくしかないのだろうな。
そんな風に思っていました。
でも、それって本当に「効率的」なことなのかな?
この時代、師と呼べる人が、
どこかに必ずいると思うんだけど、
でもどこに?どうやったら会える?
そんなことを気が遠くなるような思いで考えていた時、
私は摂理に出会い、鄭明析(チョンミョンソク)先生に出会いました。(漫画・摂理日和:いきさつ編I)
先生は、思想、人格、行い、
すべてが「完璧」でした。
私に教えて下さったことは、
私を創造して下さった神様がどういう方なのか、
創造目的を分かって生きる生でした。
この人しかいないと思いました。
一般的に<人間として当然すべき行ない、道理>、このようなことは成長すれば誰でも分かるようになります。
誰でも成長したら<自身>も分かるし、<慈悲>も分かるし、<一般的な善の行ない>も分かり、<無知>も分かります。しかし<人間が生まれた目的>、<神様の御心>、<天地万物と人間を創造なさった御心>は分かりません。
<真の師>ならば、人々が「神様の愛を受ける人」になるようにしてあげなければなりません。
つまり三位と愛し合って生きる<三位の愛の対象>にならせてあげなければなりません。
私が神様の「恋人」、
つまり「愛の対象」となれるように、
教え、導いてくださる先生。
言葉だけでなく、
自らが、手本となる生を生きながら。
この時代の「師」は、
まさしく先生であると確信をもって、
摂理の生をおくっています。
2018.5.13 主日の御言葉より