自分の意思さえも「捨てる」先生

チョンミョンソク先生は、全てのことにおいて「自分の意向」を一旦置いて「神様の意向」に合わせられる方です。

摂理の聖地・ ウォルミョンドンの開発は、まさにその典型。
通常であれば、何か建物や教会を建てるとき、交通の便や立地などの利便性を考えてしまうものですが、先生は、まず神様の御心を尋ねたのだと、ご兄弟でいらっしゃるポンソク牧師はおっしゃいました。

(チョンミョンソク)先生は自然聖殿(写真)を作るとき、神様の心に叶う聖殿をつくってさしあげると約束した。
でも私たちはどうか。
家が近い、交通の便がいい、学校が近い…など理由を付けて、私たちが便利なところを選ぼうとする。
だから争う。でも先生は違った。
先生の考え、周辺の人の考え、専門家の意見など、すべてを横に置いて神様の意向に従ったから、神様が準備したものを下さったし、奇跡を見た。

まわりや専門家の意見も参考にはするけれど、
根本的にはそれを絶対的としないのが先生です。
ただ中心は、「神様の御心通り」。

水もなく、木もなく、岩もなく、交通の便も悪かった。
でもそれらを整える過程で神様が大きく働いた。
高速道路もこの地域ほど多いところはないほど。

月明洞は先生が神様に従順した愛の結果だ。

だからすべてのことにおいて主に立ち返るべき。
主がされた通りにやるなら、奇跡が起き、聖霊が働かれる。
自分の考えを横におろすべきだ。

信仰は、自分の欲を捨てさせるものだと言います。

ああしたい、こうしたい、
人間はそのように思うものですが、
御心に従うならば、それらは削がれていきます。

このような「人間の考え」を「肉性」と言ったりしますが、
先生は、こうした肉性が本当に皆無な方です。

時間も物も、すべてが足りない。
そう思うのが人間。
人間の欲は海よりも広く深い。
その欲を捨てさせるものが信仰。
人生は、欲の海を櫓をこいでいくようなもの。
信仰とは、櫓を置いて、こうやって生きていて良いのかと考えさせるもの。

自分の考えを横におろすことって本当に難しいです。
でもそれをすべて置いて御心に従ったときに
月明洞のような「大傑作」が生まれるということを
先生は教えてくださいました。

 

20170302 ポンソク牧師の言葉

ABOUTこの記事をかいた人

貿易の仕事をしながら摂理の教会に通っています。スイマー・おしゃれ信仰生活推進委員。今ハマってるものはインテリア。インターネットが好きです。