私たちの人格は、先生の人格

R0013517ed 先日、母親が教会に来ることがあったのですが、 そのとき、たまたまあるメンバーが母親の近くにいて話していました。 私は横目で見ていたのですが、そうしたら、母親の目に涙が浮かんでいました。 どうしたんだろう?と思いつつもその時は素通りしてしまって、 昨日、そのメンバーと話したら、 あることを「お祈りしています」と言ったら泣いてしまったとのこと。 摂理教会メンバーの愛を感じたようです。 そのメンバーは、母と話したことなんてほどんどなかったのに、 以前さりげなく私が話したことを覚えていてくれて、 お祈りをしてくれていたようでした。 ほとんど会ったことのない人のために祈り、 ましてや会ったときにさりげなくそのように声をかけて、相手の心を動かすなんて、 本当に実践し、人格が備わってないと到底できないこと。 すごく、深い愛を感じました。 でもこのことを通して思ったのが、 その人格をつくってくださったのは御言葉であり、鄭明析先生だということ。
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そのような人は多くの実を結ぶであろう。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからである。(ヨハネによる福音書15:5)
聖書では、イエス・キリストをぶどうの木に喩えることがあります。 良い実は、良い木から実るんですよね。 母親は、根本的には、メンバーではなく、先生に出会ったのだと思いました。 そして先生を通して、神様に出会ったのだと思いました。 兄弟に会ったら、元気を与え、力を与え、恵みを与えなさい。 このような人が「御子と主の香りを放つ人」だ。   2014年12月23日 摂理の御言葉

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キリスト教福音宣教会のブロガー。社会人で教会に通うようになり、日常を記録したい思いからブログをはじめました。絵と写真が好き。趣味は水泳&インテリア。名古屋・主の栄光教会所属。