宗教や信仰が身近でない日本では、「信仰生活」というと何か特別なものとして捉えてしまう人も少なくないようです。
外国人の人がキリスト教徒だと言っても「ふ~ん」で終わるのに、日本人で「信仰を持ってる」というと「この人は何だろう?」という目で見てしまう人もいるのではないでしょうか?(お恥ずかしながら摂理にいるSolでさえもそう感じてしまうことも)
よく考えるとおかしな話です・・。
「信仰を持ったらどうなるのだろう?」
と、特に信仰らしい信仰は持っていなかったSolですが、いざ摂理で信仰生活を送ってみると、至って普通でした(笑)
信仰が生活に根ざしたものであることは分かってはいましたが、やはり普通だなと。
むしろ、目先の欲や自分の罪となる考えを捨てざるを得ないので、一層庶民的になったかもしれません(笑)
「生活の中」で変化するのだ。
24時間の自分の生活が重要だ。「生活の点数」がよくなければならない。
「生活の中」で御子を呼び、探し、愛して生きるのだ。
(2014年8月26日 摂理・鄭明析牧師の明け方の箴言)
鄭明析先生は、いつも「生活の英雄」になりなさいとおっしゃいます。
信仰は生活が舞台だから、生活の中で、どれだけ自分がうまくやるかが大事だと。
だから「信仰」って、日常と切り離された特別なことではなく「普通のこと」なんですよね。
また、一部の特別な人のものでもなく、すべての人に開かれているものでもあります。
そんな日常を、これからも描いてゆけたら☆
そんなことを教えて下さった、師である鄭明析先生に心から感謝します☆彡
Sol