Solの通っている教会はわりと規模が大きいこともあり、
いくつかのチーム単位で連絡をやりとりすることがあります。
で、私のいるチームはひとことで言うなら
まとまらないことで、まとまるチーム です。
連日深夜帰宅の仕事をしていたり
国家資格の勉強に励む人もいれば
弁護士で礼拝後は勉強会にサーッと消えてゆく人もおり
早く帰ってブログに没頭する人もおり
・・ってコレは私ですが、
それぞれ独自のペースが結構強い人たちが集まってるかも。
そんなそれぞれやることがあって忙しい人たちが、
同じペースで同じことをなんて、出来るわけがなく、
私たち全然まとまんないよね。
と笑いながら言い合えるほど。
でも
それでまとまってるよね。
と。
だから全員で一緒に食事したりもほとんどなく、
礼拝後に集まれる人で(⇒いない人もいる)一緒に短くお祈りをしたりすることが中心ではあるのですが、
そのフラットでゆるい感じが個性を尊重し合うことにつながって、ストレスなくいられるんだなと思ったり。
一緒にいる時間が短いからといって、
関係性が弱いとかは全然なくて、
同じような悩みを分かち合えたり、
言いたいことや感じてることをさらっと言える関係性でいられるかが重要だなと思ったりします。
これで、誰かが「みんなで一緒に何かしよう!」とか言い出したら、まわらないだろうな・・。
むしろ負担になってしまうでしょう( ・ω・)
<教会>が一つに団結し、堅固であってこそ、<摂理>が堅固だ。
こんな御言葉が日曜日に伝えられましたが、
この「一つになる」ということがどういうことなのか改めて考えさせられました。
概して日本って、
「団結」や「和睦」=(時に我慢しながら)みんなと同じことをする&合わせる
みたいな同調思考の風潮があるように思えますが、そうじゃないよね、と。(これは韓国から来た方も指摘されてたところ)
色々な組織のあり方があるので、
「これが正解!」というのはないのですが、
極めて個人主義な私を、改めて自由にさせてくれる場所があって良かったななんて、御言葉を聞きながら感謝して思ったのでした。
(私が礼拝デビュー後、数年間、誰よりもこのチームに長くお局のように居座ってることでそのようになったのでは?という指摘は受け付けません)
2016年6月26日 主日の御言葉