祈りあるある:集中②

昨日の記事は、聖殿で祈るからよく分からない&マンション暮らしで部屋に蚊などいないという意見を頂きまして、反応イマイチな「ひとりあるある」になってしまいましたイタい摂理のSolです。

気を取り直して、懲りずにその②です。

摂理の人は、床でお祈りをするときたいてい正座をします。

祈りの姿勢は主への姿勢

と言いますが(今私が考えた言葉ですが)、ガニマタとかう●こ座りとかだと神様もちょっとイヤですよね。

なのでスタンダードに正座をするわけですが、当然ながらくるのが足のしびれ。
正座に慣れていないと、数分でしびれてくると思います。

しかし

祈りは訓練

とも今私が考えた言葉ですが、祈りに集中できるようになってくると、1時間正座をしていても全くしびれを感じなくなるのです。

考えなければ、食べ物のにおいがしても全く嗅げない。<におい>も、嗅覚を通して「考え」で伝達されて、嗅ぐようになる。
すべて<考え>を通して分かるようになる。<考え>が「命」だ。

本当に、集中していれば他のことが脳に入らず、まさに理想の祈りの状態です。

しかし

祈りが終わって立ち上がろうとすると

ビリっ

と電流が走るかのごとく、
生まれたての小鹿のようにフラつくことが私はあったり。

祈りの鉄人クラスになれば、足のしびれさえ消えるのかもしれませんが、凡人信徒の域ではまだその次元に到達することができません。日々挑戦です。

ちなみに祈りと瞑想の違いについてはこちらに書いていますので、よろしければ参考にしてください。

忙しい現代社会の中、足のしびれも蚊の音も気にならないぐらいの集中状態で明け方から祈って、自分と神様とつながる。

そんな摂理が私は好きです。

 

2017.7.11 鄭明析牧師の明け方の箴言

ABOUTこの記事をかいた人

キリスト教福音宣教会のブロガー。社会人で教会に通うようになり、日常を記録したい思いからブログをはじめました。絵と写真が好き。趣味は水泳&インテリア。名古屋・主の栄光教会所属。