「違う位置、違う使命」をしようとしないで、<自分の個性の位置>を守って、そこでもっと大きくなり、素晴らしく作ること」だ。
<ブドウ>が「梨、リンゴ、バナナ、イチゴ」にはならない。<ブドウ>は「ブドウ」としてもっと大きくおいしく作ることだ。
これと同じく、各自「自分の個性の位置」を守って自分を開発することだ。2017年7月19日 鄭明析牧師 水曜日の御言葉
摂理の御言葉では、人はそれぞれに「位置」があるのだと言います。
自分の仕事だったり、使命だったり、それは、神様から与えられた個性の「位置」。
だからその「位置」からずれたことをしようとすると、うまくいかないし、それは「違う果物」になろうとするようなものだから、苦しくもなってくるのです。
私は摂理に来る前、
自分が何をしたいのか、
またすべきなのか分からなくて、
どこかで苦しさや虚しさを感じていましたが、
それは自分の「位置」に合わないとことをことごとくやろうとしていたからだと、今となっては思います。
「位置」は、必ずしも今の自分の「願い」通りとは限りません。
時には人が羨ましく思えてしまうもの。
でも神様から見たら、今の「位置」は長期的に御心を成す上で最も良い「位置」だったり。
それを探して開発させるのが難しさでもあり、神様との経緯をつくる楽しさでもあります。
全ての基準は、自分ではなく神様。
自分が一番「ラク」に生きられる「位置」が、
必ずあるはずなのです。
P.S.そんな私はしょっちゅう「位置」をはずれようとして結局戻ってきます、このブログとか…。