信仰生活において、やろうとしていたことができなかったり、失敗してしまったりした時、神様に対して次のような声を聞くことがあります。
私も、こういう気持ちになることがあるので、気持ちはわかるんです。
できなくて本当に申し訳ない気持ち。
チーンとなる気持ち。
これ以上、この仕事をやる資格がないのでは?という気持ち。
日本人に多い傾向な気がします。
でも、最近思うのが、
これってやらない理由には全くならないなということ。
職場と恋愛の例えで考えてみたら、
わかりやすいと思います。
職場編:
恋愛編:
いかがでしたでしょうか?
職場編は、私が先輩だったら、まずこう思います。
申し訳ないと本当に思ってるんだったら、次ちゃんとできるよう努力して〜と。
恋愛編は、たまにこういう人いますよね…。
「あなたには勿体無い。こんな私で申し訳ない。」という相手を責めずに都合よく別れる手法。
これもっともらしいただの言い訳です。
言われた方は、自分に非があるわけでもないし、まだ好意があるから、たまったもんじゃない。
神様もこんな気持ちになるのかと思うと、胸が痛くなります。
落胆する心に、悪魔が入り込んでしまっているのでしょう…。
まぁ本当にできない精神状態になってしまっている場合、無理にさせることはできませんが、それはそれで、また別の問題です。
ある教会の指導者は、この現象を「申し訳ない病」と名付けておりました。
信仰生活に限らず、
犯罪のような罪でない限り、
リカバリーはすぐにできるものです。
問題は、自分がやろうとするかどうか。
失敗を糧にして前に進めるかどうか。
まわりは、意外と何も思っていないし、
気にしてもいないものです。
こんな私でさえも、この病気が発病しそうになることがあるから、その時は悪魔を滅ぼす祈りをして、この記事を読んで、考えを肯定的にしようと思います。
「申し訳ない」「もうできない」と思ったら、一旦、立ち止まって深呼吸を。
多くのことは、できることだと思います。
やってしまった…。
私は天が願うことをできなくて本当に申し訳ないです。
もう天に合わせる顔がない…。
ここにいる資格がないかもしれない…ずーん(どんどん落ち込む)