人間の「生き方」に目を向ける時代

三位と一緒に生活しながら生きる愛の生だ

 

いつの時代でも、人々は「理想世界」を目指して社会をつくりあげてきたと思う。

資本主義、共産主義、民主主義・・・色々と「制度」は整えてはきたけれど、明確な「これが正しい」と言えるものはまだ見つからなくて、その模索は、今でも続いていたりする。

価値観や風習がバラバラな世界をひとつにまとめる「制度」なんて多分、これからも出てくることはなくて、出ないどころか「発展」したはずの国でも、ますます精神的な問題はわき起こるばかり。

そろそろ、人間の<考え>で世界を統治することの限界を、もっと感じたほうが良いと思う。

人間の業(わざ)なら滅びる。
神様の計画ならつながる

「宇宙船地球号」なんて比喩があるけれど、「地球」という「船」を創造し運行されるのが神様ならば、ハード面はとっくに整えられているはずで、あとは、操縦の舵を握っている私たち人間の「行ない」というソフト面が残っているということ。

神様の<考え>という「帆」を立てて、「時代」の枠組みを越えて、これからの「歴史」を運行することができるかどうか?

今、行なうべきことは何か?
自分ひとつが残っている。
私たちの生活を改善することひとつが残っている。

地球が自転と後転を繰り返すように、止まらないことが生活。
この人間の「生き方」に目を向けたときに、理想世界は今すぐにでも、成されるのだと思います。

 

引用元:2015.9.19 鄭明析牧師の御言葉

1 個のコメント

  • 人間の考えの限界~安保法案成立とクルト・ゲーテル~その1 より:

    […] 人間の「生き方」に目を向ける時代-摂理のユートピアだより […]

  • ABOUTこの記事をかいた人

    キリスト教福音宣教会のブロガー。社会人で教会に通うようになり、日常を記録したい思いからブログをはじめました。絵と写真が好き。趣味は水泳&インテリア。名古屋・主の栄光教会所属。