摂理にきて、「自分の個性が磨かれた」という声をよく聞きます。
それもそのはず、摂理もひとつの組織ですから、会社のように、多くの仕事がありますし、自分にしかできない新しい仕事にどんどん挑戦する土壌もあります。
私のように勝手に(?)ブログという「仕事」をみつけてやる人もいれば、バイブルスタディの講師をしたり、教会のイベントを企画したり、摂理の映像を作成したり、人によって様々です。
直接、教会に関わらなくとも、社会人であれば職場を「使命地」として一層あつく働く人もいます。
でも共通しているのは、みんな「神様のため」に行なうということ。
これがバラバラな個性をひとつにしますし、モチベーションが「神様のため」だから、一層自分を磨くようにもなります。
<各肢体>は「それぞれ」ですが、頭を中心として「一つ」として存在します。
<それぞれ>でありながら<一つ>です。<一つ>でありながら<それぞれ>です。
2016年3月20日 主日の御言葉より
「みんな同じ」ではなく「それぞれの個性を活かし合う」のが、摂理の世界。
自分に属した個性と才能の仕事は「自分」が王だ。だから「自分」だけができる。
(2014年9月23日 摂理・鄭明析牧師の御言葉)
神様と聖霊様と御子が「各自の個性と才能」を悟らせてくださるから、極的に祈りなさい。
(2014年9月24日 摂理・鄭明析牧師の御言葉)
「その仕事の個性者、才能者」がその仕事をするときに、能力があり、才能があって、力になり、自信が溢れ、神様も聖霊様も御子も分体も、その人はできるから、共にして一層うまく行なうように助ける。
(2014年9月24日 摂理・鄭明析牧師の御言葉)
動物も、植物も、各自その種類ごとにしか出来ない役割があるように、神様が人間を見たときも、そのようなのでしょう。
その人の「個性」と「才能」を通してでしか、成せない御心があるということです。
「自分の個性、才能、特性」を求め、見つけて、使命を果たし、御子と分体と一緒にみんな一つになって、摂理歴史を輝かしく広げていこう。
(2014年9月24日 摂理・鄭明析牧師の御言葉)
神様が私を通して理想世界を成せるよう、私も「個性の開発」頑張ります。