よく学生さんで、「変化」を求めて摂理の門を叩く人がいます。
漠然と自分を変えたいと思っていたり、
学校生活に目的を見いだせなかったり、
なんとなく過ぎる時間に焦りを感じていたり、
はたまた世の中が「善し」とする道に疑問を感じたり、
生きる意味が分からなかったり・・
本当に、色々な「変化」を求めて、
蜜を探すようにやってきます。
個人的に、摂理5年目の社会人として、どんな人生問題の答えも摂理(の御言葉)にはあると言えますし、それが分かるから、必ず「変化」もできると言えます。
私自身、摂理に来てから何より生きる目的がはっきりして、一番「変化」を実感しているからです。
何のために生きるのか、
また何のために死ぬのかも、
明確に分かるようになりました。
だから「今」が楽しいです。
でも、その「変化」は、ただ摂理に来れば成されるものではなく、御言葉を実践してこそ、成されるもの。
御言葉さえ聞けば変化するのではない。主の御言葉を聞いたなら、自分の矛盾を直し完全に行なってこそ、変化する。
ただ御言葉を聞いてるだけでは、身体を鍛えたいのに、身体を鍛える本ばかり読んでいるようなもの。
摂理ではこの実践をとても大事にします。
その過程は、御言葉に従って自分の直すべきところや、矛盾と向き合うプロセスでもあるため、人によってはラクな道ではありません。
でもだからこそ、その矛盾と向き合うことで新しい自分が見え、大きく「変化」できるのが、摂理の世界なのです。
参考:2014年12月22日 摂理の御言葉