肉体は亡くなっても、生き続ける霊のために祈ることが大きい

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日本人にとって、あまり馴染みがないのが「霊」の存在。
ある日、Solの摂理教会の牧師さんがこんなことを教えてくれました。

肉体は亡くなっても、生き続ける霊のために祈ることが大きい。

たいていの日本人は、人が亡くなると、それ以上のことはよく分からないから、考えないのではないでしょうか。

でも、御言葉では、はっきりと人間の肉体が亡くなった後は、霊として霊界で生き続けるのだと説かれます。

肉(生きている時の肉体)の行ないのすべての実相は霊だ。霊は肉のすべての行ないを吸収して、霊の形をもって現わしている。
霊魂は肉のように人生100年の消耗品ではない。霊魂は永遠に存在するようになる。 

つまり、肉体がなくなってしまっても、それで「終わり」ではないということ。
だから、たとえ不本意な亡くなり方をしてしまっても、最も近くにいた家族が祈ることがとても大きいのです。

学校や職場では絶対に教えてくれない霊の世界。

摂理の教会では、はっきりと学べます。

バイブルスタディでも描いていますので、気になる方はぜひ読んでみて下さい。
三分説:<霊>と<肉>

 

2011年2月14日 摂理の御言葉

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キリスト教福音宣教会のブロガー。社会人で教会に通うようになり、日常を記録したい思いからブログをはじめました。絵と写真が好き。趣味は水泳&インテリア。名古屋・主の栄光教会所属。