「自分の個性が何か分からない」
という声を聞くことがあります。
この「個性」は摂理でもキーワードのひとつ。
花や植物もたくさんの個性があり調和を成しているように、
人間も各自持って生まれた才能(タラント)があるのだと御言葉では言われます。
そしてそれは、磨くことで人生の「使命」と呼ぶべきものにもなります。
でもどうやって見つけたらいいのか分からない。
もしかしたらもう持ってるのに、気づいてないだけかもしれない…。
最近、自分も「個性」や「使命」って何だろう?
と考えることがあり、そんな中ですごく腑に落ちたのが牧師さんのこの言葉。
個性や使命を探す前に、まずは自分をつくること。
神様は必ず個性通りの使命を与えてくださる。
けれども、手に負えないうちは与えてくださらない。
使命が大きければ大きいほど、その使命に溺れたり流されないよう、練達させるし、困難を乗り越えさせる。
信仰においては、変質しない段階に至ったら見えるもの。
自分が完成された時に、使命は見える。
なるほどーな説明。
イエス様も、最初から自分がメシアだと分かっていたのではなく、徐々に使命を悟っていきました。
最初から知っていたらそれを意識してしまい、御心とは違うことをしてしまうばかりか、サタンにも狙われてしまいます。
イエス様でさえそうなのだから、私たちも、簡単にわかるはずがない(笑)
隠密に、実践した分、自ら使命を悟るように働きかけるのが神様です。
初めは微弱であるように、初めはよいものも悪いものも分からない。進んでいくうちにだんだんと分かるようになる。
<大きいこと>も初めは小さいところから始まって、だんだんと大きくなる。
まずは、自分をつくること。
大きくつくればつくるほど、
ふさわしい「使命」と呼べるべきものが
見つかるのだと思います。
2017年7月18日 摂理の明け方の箴言