“Cross Culture”という言葉があります。
比較文化、相互文化、異文化、などなど、要は「カルチャー(文化)」が「クロス(交わる)」ことです(そのまんまです)。
ブラジルに、Solの摂理の友人(日本人)が住んでいるのですが、たまにスカイプなどで話すと、日本xブラジル間の”Cross Culture”がもたらす「ギャップ」に驚かされます。
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Sol「ブラジルでは、摂理のバイブルスタディとか、どうやって伝えるの?日本では「聖書とは」みたいな話から始まるけど。」
Sちゃん「え!そんな話しないしない!!むしろみんな聖句言っただけで瞬時にページ開くから!!質問されたら聖句で返す、これ基本!!もー大変だよー」
Sol「バリバリカトリックの国だもんね~。じゃあ人間には、肉体の他に霊があるっていう話とかは?」
Sちゃん「いや、みんなもうそれも知ってる。常識。私が話す必要ない。ラクだけど大変(笑)」
Sol「それはすごいね。でもレベル高くて大変だね(笑)」
Sちゃん「礼拝とかも専門のチャンネルがあってTVでずっと流れているし、集会やったり歌ったり踊ったりしてる映像がたくさん流れているよ(笑)」
Sol「日本じゃ考えられないね。聖書が「怖い」とか「怪しい」とか言ってる場合じゃないね(笑)」
Sちゃん「それはありえないね(笑)」
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Sちゃんとは、こんな感じの会話が弾むのですが、まさに、この文化と文化がぶつかった時に生じる驚きや感動(時に摩擦やすれ違い・・)こそが”Cross Culture”のもたらす「壁」であり「醍醐味」。
民族性が異なれば異なるほど、その差は大きく広がります。
けれども
個人は家庭が、家庭は国家が、国家は世界が、世界は天が統治する。
(摂理・鄭明析牧師 「天のことば 私のことば」第一巻:27)
といわれるように、個人、民族、国、が異なれど、最終的に、両者をつなぐのは、天がもたらす「真理」ではないでしょうか?
Sちゃん、日本xブラジルの更なる発展のために、日本から応援しておりますぞ★