摂理と東京大学―「肉的偏差値」と「霊的偏差値」の違い

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摂理の大学生は、様々な出身大学の人たちがいます。

東京大学、京都大学、大阪大学、名古屋大学、東北大学、九州大学、北海道大学などなど、「帝大」と呼ばれる国立大学から、早稲田、慶応などの有名私立大学、その他、国公立や私大など、本当に様々です。

で、意外と一般的に「有名大学」出身の学生が多いなぁというのが、Solの素直な印象。(地域や教会にもよると思いますが)

ではでは、いわゆる受験勉強ができる「肉的偏差値」が高いこと、御言葉を理解できる能力、すなわち「霊的偏差値」が高いことは、必ずとも一致するのか??

答えは、ノー!です。

どれだけ有名大学出身であっても、御言葉の言わんとすることがよく分からない学生さんは、結構多かったりします。

Solの友人も、東京大学の院生とバイブルスタディーをしていましたが、結局、院生の子は途中でやめてしまいました。
その他、某有名国立大学の学生でも、どんどん「ストップ」する現場を、多く見てきました…。

「時でなかった」
「摂理が合わなかった」
「そこまで求めていなかった」

などなど、様々に理由はあるかと思いますが、いわゆる受験勉強のように、ひたすら頭で暗記したり、問題を解く感覚で進められるものではないんですね。

御言葉を「悟る」上で必要なものは、「神様に従う心」だからです。

忠誠と熱心以外には技術も学歴も必要ありません。忠誠を尽くすのに学歴が必要だとしたら、学歴の高い人だけが忠誠を尽くせるでしょう。しかし忠誠を尽くすには、学歴や特別な技術は必要ないんです。とにかく忠誠を尽くすことが技術です。
(1998.09.30 摂理・鄭明析牧師の御言葉)

これが、まさに鄭明析先生のおっしゃる「霊的能力」

結果的に、摂理で指導者となり最前線で走るような人が高学歴だった、ということはあっても、高学歴だから摂理をバリバリ走れる、という構図は結構ありえなかったりします(そうだとしたらヤバイ)。

不思議ですねぇ。

ちなみに鄭明析先生は、小卒。
根本的に、御言葉を学ぶ上で、「学歴」や「偏差値」は、関係ないんです。

Sol

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洒落感と抜け感のあるエフォートレスな信仰生活を目指しています多分。スイマー&おしゃれ信仰生活推進委員。仕事は貿易事務。絵を描いたり写真を撮ったり、クリエイティブなことが好きです。