「はじめに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。」
(新約聖書・ヨハネによる福音書 第1章1-2節)
Solも大好きな、カッコよすぎる聖句です。
言葉、すなわち御言葉=神様がわたしたち人間に与えて下さる言葉。
旧約時代には、モーセ、アブラハム、ダビデ、ソロモンなど、数々の中心人物が、神様の言葉を受けて、時代ごとに御心を広げ、
新約時代にはイエス・キリストが中心となり、2000年間、旧約時代から次元を上げた御言葉によって、救いの歴史を成されてこられました。
「人間が神になる」とは、まさにこのこと。
人間自体が神になるわけではなく、神様の言葉を受けて伝える人のこと。
そして、その言葉を受けいれ、聞き従う人たちのことも、「神」なのだといいます。
<御言葉>が神様であり、<御言葉>が聖霊様であり、<御言葉>が御子だ。
だから<御言葉>をもらう人が神様と聖霊様と御子をもらう人になって、人間として「神」になって生きるようになる。
人間自体が全能者である「神」になるという、ヤバイ意味ではないです(笑)
そして
説教をする時、説教を聞く時、御言葉の講義をする時、御言葉を聞いて学ぶ時が「神になる時」だ。
私たちが、最も早く「神の言葉」を聞き、
「神」になれる場所が、教会。
「神の言葉」は、まず壇上で宣布されるのです。
最高に価値ある時間は、御言葉をもらう時間だ。
そんな素敵な時間を過ごせる場所。
それが、摂理の教会です^^*
Sol
引用:2014年11月3日 摂理・鄭明析牧師の御言葉