江戸時代に国外追放されたキリシタン大名の高山右近が注目されています。
高山右近(1552年ごろ〜1615年)をキリスト教カトリックの崇敬対象「福者」とたたえる式典が来年2月にも大阪で開かれる見通しだ。式典を控え、右近ゆかりの地では信徒による勉強会が開催され、イタリアでは足跡をたどるドキュメンタリー映画が製作された。地位や財産を捨て、信仰に殉じた右近の生涯への関心が内外で高まっている。
2016年6月6日 毎日新聞:
高山右近生涯に国内外関心 大阪で式典へ
(画像も)
ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、日本はかつてローマに次ぐ約20万人の殉教者がいたとされています。
江戸時代や明治時代に活躍を遂げた武士や大名などの多くは、クリスチャンでした。
この高山右近も例外ではなく、
「戦乱の世にあって右近は神の下の平等を説き、キリスト教を強く勧めつつも、信教の自由を認めた」
「富か信仰かを問われ、信仰を取ったことが右近のメッセージ」
などと記事内で語られています。
まさに「福者」としてふさわしく、生涯を信仰にささげた方だったのですね。
本場イタリアでドキュメンタリー映画までできてしまうなんてスゴイ・・(しかも監督が女性というからさらにスゴイ)。
「右近サムライ 剣の道 十字架の道」見たいぞ。
これまでは、戦国武将としての側面が強く「キリシタン」としての生き方にはあまり注目されてこなかった右近ですが、その生き様の根本を知るには、精神的な側面を見ることが欠かせません。(日本はここが決定的に欠けてると思う)
その「強さ」がどこから来るものなのか、時代をどのように牽引しようとしたのか、「信仰」にスポットを当てることで見えてくるものは多いでしょうし、また今の時代と照らし合わせることで、これからの時代に必要な精神も、見えてくるのだと思います。