兄弟姉妹の「お祈りするね」という言葉の力

摂理の教会ではよく

「お祈りするね」

と声をかけることがあります。

進学や進路など、
人生のチャレンジの時はもちろん、

落ち込んでしまったときや、
病気になってしまったとき、
身内に不幸があったとき、

そんなときも、
みんなこの言葉をかけてくれます。

正直、どういう言葉をかけたらいいか困るときって、結構あると思うんです。
特にネガティブな知らせを聞いたときは、私もどう声をかけたらいいか分からないことが多いです。

「無理しないでね」とか、
「がんばってね」とか、
メールだけだと状況もよく分からないから、
あまり適切な言葉をかけることができないです。

何より自分で
ウソくさいと思ってしまう。

でも

「お祈りするね」

だと言う側も聞く側も負担がなく
自分の想像内ではあるけれど、
そのことのためにお祈りしてあげることはできるし、
何より誠意が伝わります。

だから逆に、病気や不幸など、言うのをためらうけれど言わなきゃいけないことでも、
「お祈りしてください」と言うのが一番、お互いにとって負担がないことにも気づきます。

色々な状況を考えてみても、この言葉のキャッチボールが一番会話がスムーズにいくことに気づくはず。

それだけお祈りって、人間にとって大きいんでしょうね。

「お祈りしてね」
「お祈りするね」

この言葉を何のてらいもなく、
さらりと交わせるのは、

信仰をもつことの大きな祝福だと思います。

ABOUTこの記事をかいた人

キリスト教福音宣教会(通称:摂理)のブロガー。普段は総合職で海外とつながるお仕事。女性の社会進出に興味有。漫画を描いたり写真を撮ったり泳いだり、多趣味極まりない感じで、色んなものが飛び出します。