先日、教会のメンバーとキリスト教映画『パッション (The Passion of the Christ)』を観ました。
わりと「激しい」と聞いていたのですが、
うん、想像以上に、リアルで激しかった…。
いわゆるイエス様の生い立ちや生涯を追った
ものではなく、十字架にかけられるまでの
最後の12時間にフォーカスを当てて、
ひたすら最初から最後まで、
拷問や苦痛の連続で、
観ていて痛々しかったです…。
(自分の腕に刺さった注射針すら見れない私に、手のひらの釘は激しすぎる)
メル・ギブソン監督は、この映画で、
ひたすらリアリティを追求したのだとか。
それもそのはず、
言語も英語ではなく、
アラム語、ラテン語、ヘブライ語を役者さんが操るという徹底ぶり…。
ハリウッド感がないのも、一層、リアリティを増していると思います。
大ヒットした一方で、
あまりに過激な拷問シーンは、
世界で賛否両論を呼んだそうです。
ショックで倒れる人もいたそうで…。
でもこの映画の本質は、私が思うに、
一人一人がメシアとは何なのかについて考えること。
全世界に神様の愛を宣べ伝え、
新約聖書の1ページを切り開いた方が、
一体、どのような方だったのか。
なぜ、迫害されてしまったのか。
人々はメシアを悟れなかったのか。
聖書には「メシアが再び来る」という
予言がされていますが、
新しい時代は、どうなのか。
男は、女だと言われても、男であるように、メシアもそうだ。
人生で一番、難しいことは、メシアを信じて従うことだ。
その先に、祝福がある。
聖書の歴史を見ると、
ノアやモーセなど、神様が遣わした中心的な人物を、人々が信じず、そうでない人や偶像を信じて従うという「失敗」が繰り返されています。
チョンミョンソク先生は、おっしゃいました。
ある力のある人が、
副大統領に任命されたと言っても誰も信じないけれど、
村の村長に任命されたと言ったら人々は信じるように、
大きすぎることは、信じることが難しいのだと。
パッションは、そんな無知な人々の現実を突きつける映画でもあります。
宗教や信仰の有無に関わらず、
観ると良い映画だと思います。
2019.11.20 水曜礼拝の御言葉より