昨日の記事のつづきですが・・
隠し事ができないSol。
てか、別に何もやましいことしてないのだから証させてくれよ ってな感じで、
Solママのママにあたるおばぁちゃんにも自分が教会に通っていることを信仰告白。
ばぁちゃんの、眼鏡の奥が光った。
「どういう教会なの?」
「どこにあるの?」
「みんな仕事はしてるの?」
かくかくしかじか(ドヤ)
(ちょうどこの日、聖歌隊の賛美が捧げられていた)
「あの聖歌隊はSolちゃんのお友達かね?たくさんいるねぇ!いいお友達だねぇ~」
(おばぁちゃんは芸術鑑賞が大好きなのです)
おばぁちゃん、今度教会のお友達とお食事をしましょう。
おばぁちゃん:「若い人ばかりで恥ずかしいけど、行こうかしら・・!」
生活が、つまり証だ。 生活の中でいつも証するのだ。
生活の中で証するためには まずはあなたたちの生活がきちんとしていなければならない。
その環境が大変で厳しい環境だとしても その中であなたをつくり、その中の命の宝を掘り出しなさい。
生活がきちんとできなければ、その人から御言葉を聞きたがるだろうか。
摂理のあずき嬢記事より引用
結局、
信仰を持ってるとか
教会に行ってるとか
マイナスに捉えられるか
プラスに覆るかは
証をする人の生によるものが大きいと思う。
人は、言葉ではなく生に惹かれる。(いいこと言った)
背中で真理を語れるように
がんばります。