実践信仰の「カギ」となるもの

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摂理では、ただ単に御言葉を聞いていれば救われるという教理はありません。

御言葉は、実践するもの。
実践して、実感するものです。

そしてこの実践のカギとなるものが「意志」

やろうとするかしないかは、本人次第です。

御言葉を聞いても、どれだけ行なおうとするのかという「意志」にかかっている。

御言葉の実践は、誰かに強要したり、されたりするものでもありません。
また耳心地のよさだけで、実践が続くものでもありません。

偉大な御言葉も行なわなければ心と考えだけがうれしいのであって、得られず、消え去る。

自分がどれだけやろうとするか、
またどれだけ御言葉に価値を見出し貴重に思うか、

その<考えの強度>によって、実践の力と威力と能力が変わるのが御言葉です。

実践する「意志」のある人に、
摂理の門を叩いてほしいと思います。

 

参考:2016年4月28日  摂理の御言葉

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キリスト教福音宣教会のブロガー。社会人で教会に通うようになり、日常を記録したい思いからブログをはじめました。絵と写真が好き。趣味は水泳&インテリア。名古屋・主の栄光教会所属。