月明洞の柿の木に学ぶ、<豆柿の木>と<良い柿の木>の喩え

柿の木 (1)

みなさんは、おいしい柿がどのようにして実るのかご存じでしょうか?

良い柿の木(甘柿)は、その種を蒔いて単体で実るものではなく、
豆柿(渋柿とも言います)の木に接ぎ木をして初めて、その実を実らせます。

豆柿の木に接ぎ木するところを「三角の形」に切って、それに合うように、良い柿の木を切って接ぎ木をします。
この時、豆柿の木は切りますが、根はそのままにしておきます。

f0320965_05573556

↑こんなふうに

*大雑把すぎてゴメンナサイ!

柿の木 (3)

↑育つとこのように!立派!(奥は先生のお家です)

だから、豆柿の木に良い柿の木を接ぎ木しても「根」は残ります。
しっかりと、土に根ざし、一度生えたらなかなか切ることができないもの。

この「根」は文字通り、人間の「根性」「性根」だと御言葉では言われます。

どれだけいいものを接ぎ木しても、残ってしまうもの、それが「根性」という「根」。
「血気、カッとなる性格、憤り、悪口、我慢できずに吐き出す言葉、我(が)、本性」などは、悪い根、つまり<悪い根性>です。

御言葉と一体になった生活を行えなければ、これらは簡単に表出してしまい、甘い実を実らせることはできません。

そしてこの<根性>同士がぶつかりあったら、友人、親子、夫婦、さらには民族間において、根が絡み合うように、大なり小なり衝突が起こります。

柿の木 (2)

逆に<良い根性>は、「持続する気質、善良で純真な心、執念や義理、理解されずとも行う気質」などです。
御言葉に従順しさえすれば、自ずと<悪い根性>は切られ、<良い根性>でもっと良い実を実らせるようになります。
衝突しても、相手の<悪い根性>を、<神性>で包むように愛で接するようになります。

さらに次元を上げて説明すると・・

人間・・・豆柿の木の根(地)
神様・・・良い柿の木(天)

となります。

「根と木」が一体となって生きるように、「この世と天」、つまり「人間と聖三位」が一体になって生きることが、天の理知であり法則。

「根」同士でも栄えず「木」同士でも栄えない。
「骨」と「肉」が「体」として一体のように、異なる性質のものを接ぎ木するからこそ、愛が完成されます。

人間は天使より勝ってると摂理の世界では言いますが、天使は神様と同様、霊の存在だから、神様の接ぎ木の対象にはならないんですね。

異質なものから完成された一本の柿の木のように、神様と人間の関係が成り立ち、その理知によって世界が動いているのだと考えると、とても神秘的かつ勇壮です。

まさに、抜群の比喩。

どうせなら、食べてしまいたいぐらい、おいしい柿の実を、人生において実らせたいものです♪

柿の木 (4)

ABOUTこの記事をかいた人

貿易の仕事をしながら摂理の教会に通っています。スイマー・おしゃれ信仰生活推進委員。今ハマってるものはインテリア。インターネットが好きです。