天が任せる人

昨晩、ある摂理教会の「指導者」と呼ばれる人と電話で話していました。

その人は、教会の裏方的な仕事をとてもよくやっていて、牧師さんからもよく信頼されている人でした。

最近、私も教会の仕事を色々任されていることもあり、
普段教会にも行っていないし、
目に見える成果や功績も特にないから、
正直、自分なんかが任されてもいいものかとよく心配になることを伝えました。(ブログでは自信に満ち溢れてますが、教会ではヒヨコのような私です…)

そしたら、このように教えてくれました。

私も、最初は自分が牧師さんの側で指導者になるなんて考えられなかった。
むしろ真逆で、少しサポートできればいいぐらいの立ち位置だった。
だから牧師さんが入る教会のミーティングなんてあまりに恐ろしかった(笑)
でも天から見た時は、違ったのだと思う。

分からないから天にすがるしかないし、
祈りや御言葉を中心にして、人にも聞こうとする。
そういう「自分の考え」を捨てた人を天は使うんだよ。

いや、ホント…

教会のこととか分からなさすぎて、
すがるしかないし、御言葉に答えを求めるしかないです。
日曜日が感覚をつかめる一発チャンスだから、
気を引き締めて参加するしかなくなりました。

そんな中、先週、このような御言葉が伝えられました。

仕事を任せる時は、任せた人に責任を負えと言ってすべてを任せてはいけない。そのようにして問題を起こしたらおしまいだ。そうしたら、割れた卵を原状復旧できないように、同じくそうだ。
できない人には初めから任せるな。

人に仕事を任せる時の御言葉です。
ここで言う「できない人」とは、
神様の御心通りに「できない人」。

自分が「こうしたい」と言う思いが強かったり、承認欲求がある人は、結構危なかったりもするのです。
これは、一般的な会社や組織でも同じですよね。

誠実さや謙虚さ

私が何の「功績」がないのも、究極的には、これを悟るためなんだと思います(笑)
「功績」だらけの人の中になぜか入れられてしまうことで、ますますそれを感じるしかない今日この頃です…。

 

2017.6.2 摂理の箴言

ABOUTこの記事をかいた人

キリスト教福音宣教会のブロガー。社会人で教会に通うようになり、日常を記録したい思いからブログをはじめました。絵と写真が好き。趣味は水泳&インテリア。名古屋・主の栄光教会所属。