喜びの説教が伝えるもの

Solの教会には、
Solと年が同じぐらいの女性牧師さんがいます。

いつも笑顔で明るくて、牧師になる前から「教会のお母さん」とも呼ばれていた牧師さん。

神様の身体となって
いつも愛で全体を顧みてくださり
私自身が落ちてしまったときも
細かく気にかけて下さったり
本当にいつも

スゲー

って思います。

そんな牧師さんからいつも感じるのは
主の身体となって御言葉を伝えるのが
本当に喜びなのだなということ。

ハキハキしていて
すごく楽しそうなのが伝わってきて
御言葉そのものももちろん力を受けるのですが、
その姿から受ける力も大きいです。

あぁこんなふうに御言葉に向き合えたら

そう思わせる姿が本当にステキ。

御言葉も雰囲気に従って様々に伝えなさい。
人によって様々な雰囲気と味を出して伝えなさい。

この御言葉を今朝伝えてくださいましたが、
まさに実感するしかないような。

伝える御言葉は同じでも
受ける力や悟りの強度が異なるのは
聞く側の責任分担もありますが
伝える側の責任分担も大きいのだなと感じます。

伝えるだけなら、極端な話、誰でもできますもんね。

豆腐一つで40種類の料理をつくるように(多様に行いなさい)、という摂理らしい?比喩に1人でほくそ笑みながら

自分も自分にしか出せない味をもっと出しながら
何より楽しんでこのブログでも伝えていきたいと思いました♪

 

2017.7.7 鄭明析牧師の箴言

ABOUTこの記事をかいた人

キリスト教福音宣教会のブロガー。社会人で教会に通うようになり、日常を記録したい思いからブログをはじめました。絵と写真が好き。趣味は水泳&インテリア。名古屋・主の栄光教会所属。