摂理で学ぶ<リーダー>の条件

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摂理には、さまざまな「リーダー」がいます。
芸術分野であったり、教会管理であったり、社会人や大学生のとりまとめであったり、医療や研究分野などでも、摂理全体ないし教会単位で、大なれ小なれ、様々な「リーダー」がいるものです。

本当にこのような人たちを見ると、Solも大きく力を受けて、頑張ろうと前向きな気持ちになれるものです。
では、こうした「主に大きくつかわれる人たち」の、「共通事項」であり、「必須条件」とは何でしょう?

基本的に、大前提として備えるべきもの・・・

それは・・・

「人格」 (を磨くこと、備えること)

です。

目に見えるかたちで恵み深く、うまくやっているように見えても、人格を備えず、言葉づかいや行ないなど、自分の矛盾を完全に直していなければ、時が経てばあらわになる

一見、どれだけ「素晴らしいリーダー」を装っていても、それが形式的なものであったり、御子と一体にならず「自分流」であれば、ガタがきて、誰も従わなくなるから、直すべき自分の性格や言動と、徹底的に向き合いなさいということです。

何をどう直すかは、御言葉で全部出ています。

大きくつかわれる人は、群衆が従う人だ。
人格の上に真理と御言葉が入る。
人格を備えていなければ、使うには使っても、その線までしか使わない。

「その線までしか使わない」とか、残念すぎる。
鄭明析先生は、人を見る時の姿勢について、続けてこのようにおっしゃいます。

天の前では、それぞれが個性で一等賞だ。
自分より低い使命と位置にいる人に、どう接するかが、その人の程度だ。
大きな人物になるには、群衆の心が流れてこなければならない。

自分の主観で人を見てはいけなくて、「会いたい」「力を受ける」と言ってもらえる人が、「御子と一体になった人」なのだとおっしゃいます。

まさに、鄭明析先生ですね。
実践者でなければ、人にここまで堂々と伝えることはできませんし、聞く側が、聞くこともできません(世の中の会社や学校でも、もっとこういうリーダーシップの教育をしたらいいのにと思いますが、浸透しきれないのは、やはり「真のリーダー」が不在だからかしら…)。

まずは、言葉と行ないに不一致がないように、自分の矛盾を徹底的に直すこと。
自分を見直すことが、基本中の基本、という備忘録も兼ねた、今日のお話でした。

Sol

参考:2014年12月2日 摂理・主日の御言葉より

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キリスト教福音宣教会のブロガー。社会人で教会に通うようになり、日常を記録したい思いからブログをはじめました。絵と写真が好き。趣味は水泳&インテリア。名古屋・主の栄光教会所属。