Solの教会の牧師さんを見ていると、本当に御言葉を伝えるプロだなと思います。
毎週、主日の説教を伝えて下さる時でも、
韓国から原稿が届くのが土曜日になることも多々あるから、
土曜日の夕方から夜にかけて、
はたまた日曜日の明け方に準備をされていたり、本当に頭がさがります。
まわりは良いことしか言わない。
うまく伝えることができたかどうかは、自分が一番よくわかる。
以前、お話したときにすごく印象に残った言葉です。
どうしたら聞いている人の脳に残るのか。
重要な言葉の前は、間を置く、ゆっくり話す、少し大きな声で伝えるetc..
抑揚やジェスチャーなども、ものすごく研究をされています。
ただの棒読みでは伝わらないし、聞く人はとてもストレスをうける。
(神様の)心情をこめて、真心をこめて。
御言葉をただ繰り返してはいけない。
摂理の主日礼拝では、説教を聞く前に箴言を皆で購読する時間があるのですが、その時も、そのように意識をすることが大切だということも教えて下さいました。
私たちは牧会者ではないけれど、普段から意識してこそ、人に伝えることができるのだと。
研究すれば「最高によい方法」が見える。感じられる。確認できる。
研究は測ってみて、構想して、あちらこちら確認し、試してみることだ。
教会の、誰よりも御言葉を研究し、伝えることに努力と労苦を惜しまない牧師さん。
「この牧師さんについてゆきたい」と思わせるのは、その姿=御言葉を実体的に生きている生に惹かれるからであって、うわべだけ御言葉を伝えることには何も意味がないということを学びます。
参考:2016年5月4日 鄭明析牧師の水曜日の御言葉