摂理って本当にカルト宗教だっけ?

現在、Solはキリスト教福音宣教会(通称:摂理)の教会に通っています。

私としては、信仰をもったことで、
仕事や生活面など、様々なことがうまく進んでいる感覚があり、
「一信仰をもった社会人」以上でも以下でもないのですが、
日本では、少なからず、摂理を「カルト宗教」とみなす人もいるようです。

宗教=カルト、一度ハマると抜けられない、社会性がなくなる、信仰に没頭することが奨励される、視野が狭くなる

みたいな…。
しかしながら、私自身も、日本人で宗教や信仰を持つ人に対して、悪なるイメージこそないものの、良いイメージはあまりありませんでした。

でもそれは摂理にも当てはまることでしょうか?

今日はこの問題を考えてみたいと思います。

そもそもカルトとは何か?

宗教というとカルトという言葉を思い浮かべる人が多いと思います。
摂理も例外ではありません。
しかし「カルトとは何か?」という問いに対して、明確に答えられる人は専門の学者でもない限り、普通の人は答えられないと思います。

私もよくわかりません。

それぐらい漠然としたイメージで使っていると思います。
思い浮かぶイメージとしては…

・洗脳・マインドコントロールされそう
・一度入ったら抜け出せなさそう
・覆面とか被って怖いイメージ
・空中浮揚とか修行とかやっててヤバい
・お金まきあげられそう
・社会生活や家庭が崩壊しそう

参考:漫画・摂理日和 その17:カルト

いわゆるマスコミが報道する「宗教事件」にまつわるイメージが強いのではないでしょうか?

しかしここでは、私が見た摂理の現実を率直にお伝えすることが目的のため、カルトの定義や学術的な論争をするつもりはありません。
もっというなら、カルトだと主張されようがされまいが、どちらでもいいです。

というか、100歩譲って「洗脳」されてるとしても、
社会人としてしっかり働き、本人が幸せならそれでいいのでは…と思ってしまいますが、、
事件や犯罪を犯したら問題だと思いますけどね。

なので、この記事、ブログ、また各種関連サイトをご覧頂き、また実際に摂理のメンバーと対話し、摂理がどのような場所なのか、「カルト」という言葉やイメージに引っ張られるのではなく、自分の目で現実を見て「カルト(的)」なのかを判断し考えて頂きたいと思います。

以下は、私の実体験になります。
私も少なからず、摂理に対してカルト的なイメージを抱いていたのも事実でした。
しかし現在、そんなことすっかり忘れるぐらい普通の生活をおくっているので、
実際はどのようだったのか、摂理を知る上での参考にしていただければ、幸いです。

1.庶民すぎるーめっちゃ「普通」の人の集まりだった

摂理で信仰を持つ人はどのような人なのか?
誰もが気になる点だと思います。

駅の近くで聖書を持って立っていたり、
休みの朝にチャイムを鳴らして勧誘に来たり・・

なんか、こういうイメージありませんか?
こういう「ザ・宗教」みたいな活動を私も当初思い浮かべたものですが、摂理の人はそのようなことはしていませんでした。
万が一「一緒にやろう」と言われたらどうしようと思いました。

日曜日の朝からチャイムを鳴らして勧誘とか本当非常識だと思いましたし、また私は「ザ・善人」オーラ全開みたいなのにも抵抗がありました。

なんでも目をキラキラ輝かせてうなずかれたり、
「人生には希望があるよ!」とか上から目線(?)で言われたりとかしていたら、私は苦しくなって途中で逃げていた可能性が高いです。
でもそれもありませんでした。

むしろ私にバイブルスタディを教えてくれた人は、私と考え方が似ていてサバサバしていたので、一切そのようなことはありませんでした。
押し付けがましさもなかったかな。
むしろフリーランスのライターとかしててカッコよかった。

ただ私が一番初めに摂理の門を叩いたときに会った人たちは、正直、普通の人よりは善人オーラ(?)が出ていたと思います。
皆、嘘がなく、神様のもとでまっすぐ真面目に生きてる人たちだなと。

でもきちんと大学を出て仕事をしていて、
話をするうちに、意外と普通の人たちだな、と感じたのが最初の印象です。
ベジタリアンとかでもないし、普通にファミレスでお肉とかも食べてましたしね。←重要(なぜか信仰深い人=ベジーな勝手なイメージが…)

心に傷があって慰め合う人たち、病気の人たち、社会で生きていく「強さ」がない人たち…
日本の宗教に関しては、こういうイメージも少なからずありましたが、そのような「病んだ集団」的なイメージは無くなりましたし、実際も違いました。
皆、健康で元気だった。

次の話に続きますが、公務員や企業で社会生活を営んでいる人も多くいたので、安心したのを覚えています。

社会と切り離されるのであれば、
ここはヤバイから辞めておこう…
さっさと抜けよう…

そんな考えは無事(?)なくなり、
私は聖書を学ぶことに決めました。

その後、信仰生活をする中で「100円単位のお金の貸し借り」をする場面など頻繁にみて、むしろ「なんて庶民的な人たちなのだろう」といい意味で、私の観念は覆されていきました。

参考:漫画・摂理日和 その16:信者

2.信仰に没頭?ーみんなちゃんと学校行ったり働いたりしてた

摂理の人は信仰生活に没頭しているのか?と言われたら、そうではないと私は答えます。

それは、大半の人が学業や社会生活を営みながら、信仰生活を送っているからです。
「出家」とか「修行」とかはありません。
私もブログを見ての通り、社会人から摂理に来ているので、ずっと働きながら教会に通っています。

「没頭」がどのような状態か人によるとは思うのですが、生活を全て投げ打って、神様のことだけを考える生活を奨励されるようなことはありません。
もしそうであったら、私は仕事を辞めているでしょう。

参考:摂理は<信仰>と<経済>のバランスをみる

もちろん仕事や学業が終わってから教会の仕事を熱心にする人は多くいますが、それは教会に限らず世の中でも同じですよね。
皆、メリハリをつけてワークライフバランスとも言える実践をしています。
逆に毎日3-4時間睡眠で教会の仕事と本業をこなす超人もいます。

まぁ教会といっても一つの組織なので、
運営に忙しいのは確かかもしれません(^^;

御言葉でも、各自の位置で、個性通り信仰生活を営むように伝えられます。

勉強して神様に使われる人がいる。就職する人がいる。御言葉をのべ伝えて生きる人がいる。事業するがいる。各肢体が形のとおりに使われるように、人々も「個性どおり」に使いなさい。2017.5.15

人によっては学業、就職や事業をおこして社会の証となることも、御言葉で奨励されているんですね。

もちろん、牧師や神学の道を歩むため、仕事を辞めて教会の仕事に専念する人もいますが、各自の判断に委ねられています。

3.宗教=弱い人?ーむしろすごい人がたくさんいた

先に述べたように、私の「日本における宗教」にまつわるイメージは、散々なものでした。
摂理の人も読んでいるであろうに、申し訳なく思うぐらいです…(遠い目)

しかし、学歴で人を判断するわけではありませんが、実際、全国トップクラスの大学を出ている&在学している人や、きちんとした仕事に就いている人が多くいたことに私は安心しました。
これは、私の家族や親族への大きな証にもなりました。

参考:結局「生」で証をするしかない〜親戚のおば様編〜
参考:結局「生」で証をするしかない~おばぁちゃん編~

桁違いの年収を稼ぐ男性や、国家公務員、お医者さんや弁護士さんなども教会にはいて、むしろ私が誇らしげに自慢する始末。

うちの母親もたまに教会に来るのですが、
あるメンバーを見て「息子にしたい」とか言ってましたね。

摂理の人は、神様の品性で人格も備え、
世の中でも熱心に働くものだから、
仕事もうまくいくしかないのですね。
明らかに勉強などせず教会の仕事に没頭している人が、サラリと公務員試験に受かっているのを見たときには本当に驚きました。(本人も驚いていた)

全然「頑張ってる感」のない人も多くいて、
信仰を持ち神様を最優先にしながら結果を出す姿は、
今でも学ぶことがとても多いです。
みんないつ働いているの?(笑)

ちなみに某国立最高峰のT京大学を出て、世の中でバリバリ活躍されてから牧師になる方もいらっしゃいます。
あとは、海外だと、スポーツの国家代表選手がいると聞いたこともあります。
オリンピックでメダルとかとってるんですよ、すごくないですか?

うん、やはり自慢話みたいになってしまいますね。

どんな人がいるのか、どんな生活をしているのかは、教会のこと・人のカテゴリーでご覧になってください。

私は、実際にメンバーを知る中で、いわゆる日本人的な信仰を持つ人へのイメージは、結構変わったと思います。

参考:信仰は、強い人でないと持てない

すいませんでした。(土下座)

4.勧誘?ー無理やり信じさせることはなかった

宗教や信仰というと、洗脳されそうとか、教え?を強要されそうとか、「無理矢理信じて幸せになる」みたいなイメージがあるかもしれません。

はい、私も思っておりました。

心の安定剤的に「いいもの」だと信じ込んで生きてるんじゃないの?と。(ホントすいません)

でも、メンバーと話をしたりバイブルスタディを学ぶうちに、無理矢理信じている人は一人もおらず、またそのようにすることを、神様は願っていないことがわかりました。

自分に向かう御心が分かってこそ信じられる。2015.12.17主日の御言葉

とは、摂理の御言葉ですが、まさにこの、神様が自分に願う生き方が分かってこそ、信仰の意味や必要性を見出せるのです。

つまり、生きる目的、創造目的を学んではっきり分かってこそ、真の意味での信仰人となれるということ。
無理やり信じたところで、必ずどこかで辛くなって限界がきます。
それこそそのようになると「神様中心」ではなく、規律や形式を重んじる「人間中心」の「カルト組織」になってしまいます。
根本の目的を、悟らなければいけないということです。

参考:信仰生活は、無理やりではなく、好きで行なうもの

また「脱会」するのも、もちろん引き留めたりすることはありますが、最終的には本人の自由意思に委ねられています。
摂理に来ることも、出ることも、強要はできないのです。

冒頭で述べましたが、私は「怪しかったら出ていこう…」と考えていた人でした。
他にやりたいこともありましたし、家も遠かったので、バイブルスタディをストップする理由はいくらでもありました。

それでもここまでこれているのは、
御言葉が絶対的に良かったから。

御言葉がある限り学び続けたいと思いましたし、
きっとこの先も学び続けると思います。
これは強要されているわけではなく、自分の選択です。
「出て行け!」と言われても、出ていかないでしょうね…。

メンバーが自分一人になったとしても、いると思います。

ただ、自由意志とはいっても、教える側はそれなりの時間と労力を割いているのも事実。
マナーとして、学ぶ以上、真摯に向き合って欲しいなぁとは思います。

5.束縛?ーむしろもっと「自由」になれた

4の話とつながりますが、なんか宗教とか教会って、規律でガチガチなイメージってありませんか?

そる
聖書にはこのように書いてある、守りたまえ!
守らない人は罪人だ!けしからん!

みたいな…。

私は、こういうの勘弁でした。
説教くさくて、一番嫌いなやつ。
こういうこと言われたら、即出ようと思っていました。

聖書で、このように書かれている箇所があります。

イエスは、自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたたちは本当にわたしの弟子なのである。また真理を知るであろう。そして真理はあなた方に自由を得させるであろうヨハネによる福音書 8章31~32節

私がとても好きな聖句です。

そう、信仰は縛るものではなく、
むしろもっと自由になれる場所なのです。

ただここで言う自由というのは、文字どおり好き放題やる自由ではありません。

御言葉は「法」だと言いますが、
それは「交通法」のようなもので、
私たちを「人生の運転事故」から守ってくれるもの。
交通法さえ守っていれば、好きな車に乗って、好きなところをドライブしてもいいように、絶対安全圏の中の「自由」だということです。

〜をしてはいけない
〜をしなさい

と命令口調で言われるのは、このためですね。
規律があるのは「命」を守るため。
これに関しては、また漫画などで詳しく説明できたらと思います。

参考:威圧的?なぜ御言葉は断言口調なのか?

あと日本人はマジメなので、教会がどうというより、必要以上に規律正しく信仰生活をしようとして、人の目が気になってしまったり、自信がなくて、自らの首を閉めてしまうこともあるようですね。

参考:真面目すぎる日本人
参考:漫画・摂理日和 その49:ポジティブ

ちなみに生活面において、私は、摂理でだいぶ自由な生活を謳歌していると思います。
今日も教会の仕事もせずにこうして引きこもってブログなんか書いて…。

嫌なこともあれば嫌だと言いますし、
自分の意見もあればきちんと言って話し合います。

「自由」であるはずの場所で、ストレス抱えながら過ごすって嫌じゃないですか?
恥ずかしながら、自分自身も成長段階であるため、メンバーとのすれ違いが全くないとはいえません。
でもそこで、きちんと問題に向き合って話し合う姿勢こそ、天が願う姿です。
御言葉でも、人格を形成することについて口をすっぱくして伝えられるので、皆、何か問題やトラブルが起こったとしても真摯に向き合ってくれますよ。

また私が思うに、日本人が感じる組織的な苦しさや束縛があるとすれば、学校のように、何か言いたいことがあっても自分の意見を言わずに、ただ黙って従順していくことが善だと思い我慢してしまうことが大きいと思います。

でも本来はそういう場所じゃない。

幼い頃から会う人会う人に「自由人」と言われ続けてきた私が言うのだから、間違いありません。

「(信徒は)放牧しなさい」という御言葉がある通り、基本的にのびのびとできる場所です。
むしろ個性の花を咲かせなさいとか、実践すれば得るとか、基本、御言葉は前向きですし、生きる上で希望的な言葉を投げかけてくれます。
これは、私のブログを通して、また私の生を通して、感じていただければ嬉しいです。

最後に&関連リンク集

いかがでしたでしょうか?

まだまだ書きたいことはたくさんありますが、今後も過去に書いたものを随時見返しながら、まとめていけたらと思います。
私がこのブログを運営している目的は、単純に楽しいからというのもありますが、一つは摂理に対する誤解を解くこと。

参考:私が摂理と公言したブログを書いている理由

この記事・ブログを通して、少しでも摂理の理解の助けになれば嬉しいです。

摂理を知る上で、メンバーが書いてる以下の記事も役に立つかと思うので、いくつか紹介しておきますね♪

摂理とはどんな宗教なのでしょうか?(男性社会人の船出 摂理の男たち)
摂理で被害?新興宗教に対して親が恐れる3つのこと(ばたばた結婚戦記〜摂理で結婚した人たち)
麦わらさんなぜカルト宗教と言われる摂理に通うの?(摂理の味)
摂理とは何か?どのような宗教なのか?(摂理ナビ)
摂理カルト論に言及する(プロビウーマン)
カルトは怖い!実体験レポート!カルトと呼ばれる摂理(ばたばた結婚戦記ー摂理で結婚)
摂理ってカルト宗教なの?怪しい習慣など実際にあったことを語ります(摂理で遊ぶ)
摂理のウワサ~カルト宗教?その実態と体験談(摂理の子供〜すくすくの雲)
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摂理で結婚⭐︎祝福を受けた名古屋嬢たちのレポ(摂理の名古屋嬢)

ABOUTこの記事をかいた人

キリスト教福音宣教会のブロガー。社会人で教会に通うようになり、日常を記録したい思いからブログをはじめました。絵と写真が好き。趣味は水泳&インテリア。名古屋・主の栄光教会所属。